〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど  あまりてなどか 人の恋しき
                                        (さん ひとし)

[口訳]
小野のしの、、原ではないが、私はしの、、びに忍んでいるけれど、いまはとても忍びきれません。どうしてこんなに、あなたが恋しいのでしょうか

[鑑賞]
この歌は『古今集』恋一よみ人知らずの
   「浅ぢふのをのの篠原忍ぶとも人知るらめやいふ人なしに」
から取ったことは間違いないであろう。
民謡的にながく口から口に歌われて、美しく彫琢され、しかも民謡らしい卑しさをもたないこの原歌ではあるが、下の句の「人知るらめやいふ人なしに」 は、何にしても朴訥で粗野で、せっかくの美貌を田舎娘の衣裳につつんでおいたようなところがある。
「参議ひとし」のこの歌は、その田舎娘をひろい上げて、すっかり京都貴族の娘に作り上げ、晴の社交舞台へ出したようなものである。
「あさぢふのをのの、、、、はらしぶれ」とオ段の音を多くし、その上に「--はら--ぶれど」と「しの」を重ねた韻律の美しさが、この歌では、あくまで優艶な美しさで輝いている。
そに上に、「余りてなどか人の恋しき」が、はっきり恋の相手をみつめ得ないような、自分の心を見つめてでもいるかのような、はにかみがちな視線を持つ歌を作り上げて、一首いかにも艶麗優雅である。
本歌取の美しさと困難さを知り尽くしていた新古今時代の歌人にとって、見逃しえない歌であったろう。
[作者]
源等(880〜951)は嵯峨天皇の第二源氏広幡大納言ひろむの孫、父は中納言まれである。
昌泰2年近江介権少掾に任ぜられ、内匠頭・大宰大弐・長官等を経て、天慶8年右大弁、同9年参議となり、天暦5年3月10日歿。72才であった。官歴は『公卿補任』に詳しいが、伝記はつまびらかでない。
勅撰集に入る歌はわじかに3首に過ぎない。
あずまの 佐野の船橋ふばなし かけてのみ 思ひ渡るを 知る人のなき
百人一首評解」 著:石田吉貞 発行所:有精堂出版株式会社 ヨリ


浅茅生の野辺の篠原

しなしなと撓う篠竹

忍恋 しのび偲べど

我と我身をもて余し

身を撓うまで人恋し

小野白茅青竹林

竹深恰似我情深

一忍再忍忍不住

不知何故総憶君

百人一首の世界」 著:千葉千鶴子 発行所:和泉書院 ヨリ