〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
人はいさ 心も知らず ふるさとは  花ぞ昔の 香ににほいける 
                                      (きの 貫之つらゆき)

[口訳]
人の心は、変わったか変わらないかわからない。しかし、自分のなつかしい故里は、梅の花が昔のままに咲いて、少しも変わらないことであるよ。

[鑑賞]
平安朝期には贈答の歌が多く、それは芸術であるとともに、一面では社交的な実用性を持たされていた。それ故、贈答歌の本質や技巧を知らないと、真の面白みのわからない歌がある。
贈答歌には、それが贈答される事情や風俗、つまりその風土的、社会的の環境というものがある。その環境を知って正しくその中におかないと、その歌は、ちょうど池の坊流の花を靴箱の上に置いたようなもので、よくその意味がわからないことになる。
またその技巧も中々手がこんでいて、人の死を欺く場合のような、「悲しいことでしょう」「そうです、本当に悲しゅうございます」といった素直なものは少なく、多くは、皮肉、あてこすり、攻撃、からかい、まぜっ返しなど、多様多岐をきわめている。
この歌では先ず、長谷詣でののどかな春の気分、梅の花の咲いている古駅のさびたさま、都第一の歌人のお泊りに対する宿屋側の緊張等、歌の一つも詠まなければならない、春駘蕩の作歌環境であったことを頭に置く必要がある。
『実技抄』がこの歌を「貫之の歌には、余情もっとも多き歌也」といっているのは、この歌を、この作歌環境に正しく置いて見ての評である。
次にこの歌の贈答歌的技巧を見ると、
「宿はこの通りですのに、ひどいお見限りでございましたね、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 」と主人があてこすりを言っているのに対し「主人はどうやら、わしに愛想をつかしたようだが、しかしこの梅の花は昔通りで、大変なつかしい、、、、、、、」 (、、、、、の部分はかくされているが、その部分こそ言いたい真意なのだ) といっているのであって、「主人よ、わしはこの家がたいへんなつかしいのだ」というお追従を、皮肉めかした文句に言わせているところに、巧妙な技巧があるのである。
[作者]
紀友則と同じ家系に属し、本道の孫、望行の子である。
寛平御時后宮歌合の作者となり、延喜5年『古今集』の撰者となり、序も作った。同6年越前権少掾、御書所預に任ぜられ、同7年大井河御幸にして歌と序を作り、同13年にはていいん歌合に列した。延長8年土佐守に任ぜられ、勅命により任地で『新撰和歌』を撰び、帰京する時『土佐日記』を書いた。『古今集」の歌を中心にすぐれた歌360首を集めたものが前者で、女のまねをして仮名で書いた日記が後者である。その後、玄蕃頭げんばのかみ権頭ごんのかみとなり、天慶9年に歿したという。
歌人としては延喜・延長の頃最高の地位にあり、家集を見ると、宮廷や貴顕の為に、屏風歌その他を多く詠んでいるのには驚かされるほどである。
その歌は理知的で、趣向にすぐれ、長高く姿面白くはあったが、観念的で情熱を欠いた。
和歌に対する自覚が強く、和歌に対する理論的考察にも一隻眼を有した。漢詩盛行の後をうけて、和歌を確立した功績は大きい。
「紀師匠」(三月三日紀師匠曲水和歌)、「先師」(忠岑十体)などと同時代の人々にも敬われたのは当然であり、古今・後撰・拾遺の三集では、各々貫之の歌が歌数において最高を占めている。しかし、彼の歌は、ようやく豊潤な抒情を求めて来た王朝末期の人々にとって不満なものとなった。後拾遺・金葉・詞花・千載の各集には一首もとられていない。定家も業平・小町の歌をとって、彼の歌を避ける基盤の上に、その新歌風を築いている。
三十六歌仙の一人で、『紀貫之集』もあり、勅撰集に入った歌は合計およそ443首、定家についで第二位である。書も巧みで、貫之筆と伝えられるものは、いずれも優雅のうちにつよさがあり、行成とちがった気韻をもっている。
袖ひぢて 結びし水の 氷れるを 春立つけふの 風やとくらむ
春日野の 若菜つみにや 白妙の 袖ふりはへて 人のゆくらむ
梓弓 春の山bを こえ来れば 道もさりあへず 花ぞ散りける
白露も 時雨もいたくも ある山は 下葉残らず 色づきにけり
別れてふ ことは色にも あらなくに 心にしみて わびしかるらむ
「むすぶ手の 雫に濁る 山の井の あかでも人に 別れぬるかな」
「春霞 たなびきにけり 久方の 月の桂も 花やさくらむ」
「逢坂の 関の清水に 影見えて いまやひくらむ 望月の駒」
「思ひかね 妹がり行けば 冬の夜の 川風さむみ ちどり鳴くなり」
百人一首評解」 著:石田吉貞 発行所:有精堂出版株式会社 ヨリ


人は さあ いまも

変わらぬ心のままなのか

それとも変わってしまったか

故里の昔馴染みの梅の花だけは

変わらぬ香に咲き匂っていることよ
未知君况別離長

君意如何今不詳

難忘昔日晤君所

花弁猶是旧時香

百人一首の世界」 著:千葉千鶴子 発行所:和泉書院 ヨリ