[口訳]
山川にしがらみがかけてあるが、これは風がかけたもので、流れることもできないでひっかかっている、紅葉であるあわい。
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[鑑賞]
「秋山行旅」といった詩境である。枯れつくそうとする国境の山々の上には、濃い藍色の空がかかり、都塵は遠くさかり、渓流の音は耳にさやかに聞こえる。ふと見ると、渓流のあそこここにひっかかっている紅葉に葉は、ちょうど柵でもかけたように見えて、去り行く秋のあわれさを語っている。
このように私がこの歌を解くと、多くの人は、それでは、「風のかけたるしがらみ」はと問いかけ、「流れもあへぬ紅葉なりけり」と答えた、その知的操作とは、必ずしも一致しないのではないかと考える。少なくとも、一応は別に離して考察してよいのではないかと考える。
折角の美しい詩情も、彼らが表現すると、一理屈こねた、いやなものになってしまうのではないか。私はそこに、漢詩の誇張性・多飾性をまねるところから来た、一つの悲劇があったのではないかと思う。この「山川に風のかけたる」の歌なども、その表面にある知的なものとは別に、その底にある晩秋の悲しみを、感じ取ってやらなければならないのではないか。
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[作者]
『三代実録』貞観6年5月に「11日丙甲、右京人因幡権掾正六位上物部門起、賜姓春道宿禰」とある。この「春道」が、この作者と関係ありとすれば、年代から考えて、門起は列樹の祖父か曽祖父に当るであろう。
列樹は『古今集目録』によれば、主税頭新名の一男。延喜10年文章生に補され、同20年壱岐守に任ぜられ、発向せずして死んだという。
勅撰集には『古今集』に三首、『後撰集』に二首入っている。 |
「昨日といひ
今日と暮らして あすか川 荒れて早き 月日なりけり」 |
「梓弓
ひけば元末わが方に よるこそまされ 恋の心は」 |
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「百人一首評解」
著:石田吉貞 発行所:有精堂出版株式会社 ヨリ |
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