[口訳]
みかの原を、湧き出て流れ下るいづみ川ではないが、私は一体、いつ見たというので、このように恋しいのであろう。一度も見たことがないのに。
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[鑑賞]
「みかの川あきて流るるいづみ川」という上の句の、さわやかな、清楚なひびきの中には、初恋の清純さに通うものが感じられる。恐らく、この「いつみきとてか恋しかるらむ」という、静で、ひかえめで、しかも深く思いつめたような嘆きは、初恋の人のものであろう。未だ見ぬ人を恋するという、この恋の神秘を、真の神秘として、本当の深さや高さにおいて感じ得るものは、ただ初恋の人の魂のみだからである。
しかも、この歌には、ともすれば初恋の人に見られるはげしさが無い。むしろ、「はげしさ」を心なきこととして、おおらかな優雅の中に包み込めている慎みがある。おおらかに、上品に、未だ見ぬ人に送った歌ででもあろうか。
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[作者]
藤原兼輔(877〜933)は左大臣藤原冬嗣の曽孫で、右中将利基の六男である。
延喜21年参議、延長8年中納言、承平3年薨。87歳。
鴨川の堤に住んでいたので、堤中納言と呼ばれた。
「人の親の こころは闇にあらねども 子を思ふ道に まどひぬるかな」は兼輔の作で、はなはだ有名であるが、『大和物語』によると、その女桑子の寵のおとろえないようにと、後醍醐天皇に奉ったものである。
歌人として知られ、三十六歌撰の一人で、『兼輔集』があり、『古今集』以下勅撰集に56首ほど入っている。
貫之と親しかったと見えて、貫之は、兼輔の死後、土佐から帰って来て、兼輔の粟田の家で「植ゑおきし 二葉の松は ありながら 君がちとせの
なきぞかなしき」よ詠んでいる。
『堤中納言物語』はその作といわれてきたが、いまは無関係のものということが明らかになった。 |
「君がゆく
越の白山
しらねども 雪のまにまに 跡はたづねむ」 |
「足引の
山の山鳥 かひもなし 峯の白雲 立ち よらねば」 |
「時雨ふる 音はすれども
呉竹の などよとともに
色も変わらぬ」 |
「桜ちる 春の末には
なるにけり あままも知らぬ 詠めせしまに」 |
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「百人一首評解」
著:石田吉貞 発行所:有精堂出版株式会社 ヨリ |
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