〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
吹くからに 秋の草木の しをるれば  むべ山風を 嵐といふらむ 
                                      (ぶんやのやすひで)

[口訳]
それが吹くと、秋の草木がしおれるので、それでなるほど、山風をあらしというのであろう。

[鑑賞]
機智を弄した歌で、『古今集」の頃の人に好まれた歌であっても、真にすぐれた歌とは言われない。本当の感動がないからである。日本の和歌を、言語遊戯の場としてゆるしたことは、『古今集』の誤りの一つである。
しかし、機智も一つの美であり、特にこの歌は、草木を荒らす「あらし」であり、山と風との二字を合わせると「嵐」であると、意味と文字との二重の合致を「むべ」と諾っているあたり、他の同じような文字歌よりも、一段と巧妙であるばかりでなく、淡々としたしらべもいやみが無い。
藤原公任は『ほん』で、和歌をその価値によって九品に分けているが、その中でこの歌は、「ぽんじょう」として格づけられ「わづかに一節ひとふしあるなり」と、余りあり難くない評を受けているが、そこらあたりが、やはり動かない評というべきであろう。
[作者]
『新撰姓氏録』に「文屋真人、天武皇子二品長王之後也」とあり、『紹運録』にも長親王の子孫に文屋真人浄などがある。
『作者部類』によると、康秀は、縫殿助文屋宗于むねゆきの男、六位で、元慶3年に縫殿助ぬいどののすけに任ぜられたことが知られ、『古今集目録』には、元慶元年正月山城大掾に、同3年5月縫殿助に任ぜられたとある。
『古今集』巻18に三河掾みかわのじょうとなってくだる時、小野小町をさそったとあるのは有名である。
歌に巧みで、六歌仙の一人である。『古今集』序に「文屋康秀は、言葉は巧みにしてそのさま身に負はず、いはば、商人あきびとのよき衣着たらむがごとし」と評している。
歌集は無く、勅撰集に入るものも六首だけである。文屋朝康あさやすはその子である。
春の日の 光にあたる 我なれど かしらの雪と なるぞわびしき
草も木も 色変れども わたつみの 波の花にぞ 秋なかりける
白雲の 宿やどる峰の 小松原 えだしげけれや 日の光みぬ
百人一首評解」 著:石田吉貞 発行所:有精堂出版株式会社 ヨリ


吹けばたちまち

秋の野を荒らし

草木が萎れてしまうので

なるほど山降ろしの風を

山と風を重ねて

嵐と言う字にしたのだろうよ
山風甫吹過

秋深草木黄

似経暴風雨

枝葉倶凋傷

百人一首の世界」 著:千葉千鶴子 発行所:和泉書院 ヨリ