[口訳]
そなたにさしあげようと思って、春の野に出て若菜をつんでいると、私の袖には、雪がしきりに降って、だいぶつらいことでした。
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[鑑賞]
「わか菜つむ」とあっても、御自身野に出て摘んだわけでなく、若菜をおくる日にちょうど雪が降っていたので、御自身でお摘みになったように詠まれたのであろうという説(景樹)があるが、恐らくその通りであろう。この歌のよさは、若い皇子が(御即位は55歳も御時であるから「みこにおはしける時」とあっても、必ずしもお若い御時とは限らない。しかしこの歌の与える感じでは、たしかに若い皇子である)人に若菜をおくられるという、やさしい優雅な心がこの歌の心となり、そのやさしい心が、この歌の美しい表現とよく調和しているところにあるであろう。しかし、新古今のころの歌人がこの御歌を見たときにはその絵のような美しさが強くまず彼らを魅惑したであろう。若い皇子が春の野に立つ、これがすでに優艶な絵であるのに、その皇子の袖の上に、暖雪とよばれる大きやかな春の雪が、夢のように、ふわりふわりと降りかかっているのである。
御袖の色、緑の若菜、白い雪、その色どりが、目さめるばかりの美しさで、強く彼らの官能を刺激し、更にその上に、王朝唯美主義の美しい雰囲気が彼らをやわらかく包んで、そぞろに、美の世界王朝への郷愁をかき立てしめたであろう。
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[作者]
光孝天皇(830〜887)は第58代の天皇。仁明天皇の第三皇子で、御名は時康。御住まいの御陵の名から「小松の帝」と申し、御治世の年号から「仁和の帝」とも申した。御母は贈皇太后藤原沢子。
幼より聡明で学を好まれた。天慶6年一品に叙せられ、同8年2月陽成天皇の後をうけて御即位(御年55)になり、御在位4年で仁和3年8月崩御。御年58。
書陵部代々御集中の『仁和御集』は天皇の御製を集めたもの。勅撰集には14首入っている。 |
「君がせむ わが手枕は
草なれや 涙の露の 夜な夜なぞおく」 |
「山桜 立ちのみかくす 春霞 いつしかはれて
みるよしもがな」 |
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「百人一首評解」
著:石田吉貞 発行所:有精堂出版株式会社 ヨリ |
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