〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
筑波嶺の みねより落つる みなの川  恋ぞつもりて 淵となりぬる
                                        (ようぜいいん)
[口訳]
筑波嶺の峰から流れ落ちる男女川は、はじめはわずかな水であるが、それがつもりつもって、深い淵となるのです。それと同じように、私の恋も、はじめは人知れずひそかに思いそめたのですが、いまは、深い深い思いの淵となってしまいましたよ。
[鑑賞]
東歌的に清楚な表情を持ちつつ、さりげなに自然描写をして来た上の句から、突如として、恋の思いの深潭に人をひっぱってゆく譬喩歌の巧みさは相当なものである。清らかな小さな流れが、しだいに水かさを増していって、ついに底知れぬ深い淵となるというところには、恋の心の深まりを示すゆたかな象徴性があるであろう。
「つくばねのみねよりおつるみなの川」という、「ね」音や「み」音のこころよいくり返しも、この歌のさわやかな流動感を助けている。狂病に苦しめられ給う不幸な天子の病間に示された、澄んだ詩情であろうか。
[作者]
陽成院(868〜949)は第57代の天皇で、清和天皇の第一皇子、御名は貞明さだあきら。御母は贈太政大臣藤原長良ながよしの女高子たかいこで、二条后とゆよばれた人。
貞観19年10歳で皇位につかれ、母后の兄藤原基経もとつねが関白として政務をとった。しかし不幸にして狂病が甚だしく、蛇に蛙をのませ、犬と猿とを戦わせ、果ては人に木にのぼせて打ち殺すというようなことが多かったので、天慶8年(17歳)御譲位あそばされた。その後も御病の平癒を見ず、狂暴の御行がつづいた。天暦3年9月82歳で崩御。
歌は勅撰集には後撰集のこの一首だけである。
百人一首評解」 著:石田吉貞 発行所:有精堂出版株式会社 ヨリ


筑波山の男峰女峰の間

落ちる水の流れはみなの川

積もる水嵩は暗い淵

遂げ得ぬ恋の行方は男女川

積もる怨みは深い淵
筑波峰間水

流出匯成川

恋情心頭釈

深深如巨淵

百人一首の世界」 著:千葉千鶴子 発行所:和泉書院 ヨリ