〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
花の色は  うつりにけりな いたづらに   わが身よにふる ながめせしまに 
                                        (ののまち)
[口訳]
花の色は、もう褪せてしまいましたよ。私が、この世を渡ってゆく上の、何の役にも立たない、いろいろな物思いをしている間に、長雨が降ったりして---私の容色もおとろえてそまいましたよ。恋の悩みや、そのほかいろいろな物思いをしている間に-----
[鑑賞]
定家のいわゆる「妖艶」の歌というのは、小町のこの歌あたりを心においているのではないかと思われるのであって、したがってこの歌は、百人一首の理念を、一ばんよく具現しているものといってよいように思われる。
行く春の悩みと青春の去りゆく悩み、恋の思いと人世の思い、色褪せた花と感情の深い長雨、たとえば梨花一枝春雨をおびたような、悩める美、頽唐の美をきわめた歌だということができるであろう。
「に」の音が四つもあって、脚韻的なはたらきをし、「うつりにけりな」と、「り」音のくり返しが快い諧調を与えるなど、韻律的にも極めてすぐれている。
思えば和歌が平安朝的に新生しようとして、早蕨のような、若さの喜びや青春の悩みを、惜しみなく発揮しているのが、業平の歌や小町のこれらの歌である。
うらやましい肢体の若さだ。定家が『定家十体』の「幽玄様」にこの歌を入れているのは当然であり、『実枝抄』が「古今第一の歌也」といっているのをはじめ、諸註が一致して絶賛しているのも当然である。
[作者]
小野たかむらの孫のぐん良真よしざねの女という説があるけれど、時代を考えない誤りである。
小野貞樹・遍昭・業平・安倍清行・文屋康秀等と、歌を贈答していることが『古今集』『後撰集』『伊勢物語』『大和物語』等に見えて、大体、仁明・文徳のころ(850年頃)の人らしいことが知られる。
『後撰集』巻18に小町の孫女の歌があるから、子を生んだことが知られ、『古今集』『後撰集』に「小町があね」、『後撰集』に「小町がうまご」とあるように、いずれも小町を基準にして記しているから、当時有名であったことが知られる。晩年には落魄し陸奥に帰って死んだなどと言われているが、伝説的なものである。
六歌仙及び三十六歌仙の一人で、『古今集』17首以下勅撰集に入ること62首、『小町集』もある。
『古今集』仮名序に 「小野小町は、あはれなるやうにて強からず。いはばよき女のなやめる所にあるに似たり」とあり、 同真名序に 「艶而無気力如病婦之著花粉」とあるように、妖艶で頽唐的であり、夢・夜・衣・涙等をよむことが多い。
謡曲の小町物をはじめ、後世文芸のよき題材となっている。
小町・業平等の浪漫的な感情の横溢した歌は、後に定家等によって重く取り上げられ、新古今の歌を生む母体となった。
百人一首評解」 著:石田吉貞 発行所:有精堂出版株式会社 ヨリ


桜の花は色褪せし

空しく雨の降りつづく

この身もすでに若くなし

愁いの涙も小止みなく

独りの夢を重ねつつ

思いは深くなりまさる
好花轉瞬即瓢零

只恨空空度此生

傷心紅泪何所似

連綿細雨不能雨

百人一首の世界」 著:千葉千鶴子 発行所:和泉書院 ヨリ