[口訳]
大空を、はるかにながめやると、月が美しく上がっている。ああ、あの月は、故郷の三笠の山に出た、なつかしい月であろうかなあ。
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[鑑賞]
[鑑賞]
卒然としてわれわれの心は、海のかなた唐土の海辺に飛ぶ。そこには故国へ帰ろうとする詩人を送って、送別の宴が張られ、灯がかがやき、酒杯がめぐり、弦歌がわき、潮の香がたゆとうている。ふと見ると、海のかなたに月が上っている。おお、そのぬれたような青みをおびた月の光の美しさ。今まで大陸の月にばかり馴れてきた詩人の目に、渺々たる東海のかなたに出た月は、端的に日の本を思わせ、故郷を思わせ、故郷の山に出た月を思わせる。
少年の日に見た、三笠の山の美しい月よ。ああ、人生には何故に故郷があり、また異郷があるのか。何故に人は望郷の心を抱いて悲しまなければならないのか。
ひろい海、ひろい空、飄々と青み澄んだ月、岸を打つ浪の音、幾千年たっても、この歌が口ずさまれる所には、遠い昔の一エトランゼの望郷の心が、生きてうずいて、蘇るであろう。定家は浪漫詩人の常として、異国情調を愛した。
この、異国の海浜で、はげしい望郷の心がとらえた月の悲しい官能美。歌人でない仲麿を撰に入れた理由がわかるように思われる。
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[作者]
安倍仲麿(701〜770)は中務
大
輔船守の子。
元正天皇の霊亀2年8月、16才で留学生として唐に派遣され、とどまること35年、名を朝衡とあらためて唐朝に仕え、佐補闕に任ぜられた。
天平勝宝2年、藤原清河が大使として唐に遣わされたとき、共に帰国しようとして、翌3年明州の海辺で送別の宴が開かれ、王維・包佶
等当代一流の詩人も加わり、詩を作って送った。 この「天に原」はその時の詠とされている。
ところが海上で暴風に遭い、船は四散し、仲麿は安南に漂着して、再び唐朝に仕えた。
こうして、在唐50年、宝亀元年その地で死んだ。年70。学才非凡、唐の知名文人と並んで少しも恥ずるところがなかった。和歌はこの一首の外は伝わらない。
仲麿遭難の報が伝わると、大詩人李白は次のような詩を詠んでその死を弔った。。 |
日本晁卿辞帝都 片帆百里繞蓬壷
明月不帰沈碧海 白雲秋色満蒼梧
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「百人一首評解」
著:石田吉貞 発行所:有精堂出版株式会社 ヨリ |
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