〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
奧山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の  声きくときぞ 秋はかなしき  
                                        (猿丸さるまる大夫たゆう)
[口訳]
山の奥で、散りしいた紅葉をふみわけて鳴いている鹿の声を聞くとき、その時が一ばん秋は悲しく感じられる。
[鑑賞]
作者が誰であるかは別として、この歌はよい歌である。秋の悲しさ、山の悲しさが、優艶なことばと姿で、しかもさらりと歌われており、暮れゆく秋山の寂寥に、ふかく触れている。
特に新古今の頃の人たちは、こういう歌を好んだ。
奥山、紅葉をふみわける鹿、哀しい鹿の声、もそそれに、草の庵を加え、その庵の中に、目をつむって大自然の秋に耳をすませている世捨人でも坐らせたならば、彼らの理想的とする歌が出来上がるからである。隠遁者めいた猿丸大夫の歌として取り上げられた動きの中に、われわれは時代の志向がわかるように思われる。「寛平御時后宮歌合」の作者は、貫之・友則・躬恒・素性等の名手であるから、この歌も、作者不明であるとはいえ、相当な歌人の歌であったことが思われる。
『新撰万葉集』巻上において、菅原道真は、この歌を次のように漢詩に訳している。
秋山寂々葉零々 麋鹿鳴音数処聆
   勝地尋来遊宴処 旡友旡酒意猶冷
秋山は寂しく落葉ふりしきり
鹿の鳴く声かなたかなたに聞ゆ
勝景を愛して人は来り遊べど
友無く酒無くわが心さびし
[作者]
伝不明。古今集真名序に「大友黒主之歌、古猿丸大夫之次(イ流)也」とあるから、『古今集」の頃には実在の人物と信ぜられたものらしい。
『三十六人歌仙伝』には「若万葉集之後、元慶(陽成天応) 比人歟」とあり、『皇胤紹運録』には、聖徳太子の子山背大兄王の子に「弓削王(号猿丸大夫)」とある。『扶桑隠逸伝』その他に記するところは信ずることができず、歌も『猿丸大夫集』に載せるところは信じられない。勅撰集には一首も入っていない。
その墓について鴨長明の『無名抄』や『方丈記』に田上川のしもにあるといい、『山城名勝志』等にもそれについて記しているが、それも伝説にすぎないであろう。
要するに実在の人物ではあったであろうが、その伝は全く不明という外はない。
百人一首評解」 著:石田吉貞 発行所:有精堂出版株式会社 ヨリ


奥山に散り敷く落葉

紅葉黄葉を踏み分け

鳴くは牡鹿 泣くは私

妻恋う声は鹿か私か

秋は悲し いのち哀し
深山紅葉満地飄

足踏紅葉路迢迢

聞道鹿鳴声哀苦

悲感風寒秋気高

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