〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
あしひきの 山鳥の尾のしだり尾の  ながながし夜を ひとりかも寝む
                                              (柿本人丸かきのもとひとまろ)
[口訳]
山鳥のしだり尾のような、長い長い秋の夜を、ただ一人で寝ることであろうかなあ
[鑑賞]
やや調子は強いが、定家の好んだ妖艶の歌の一つであるといってよいであろう。定家のいわゆる妖艶の歌とは、前にも述べたように、美しい女の悩める姿のような歌をいうのであるが、秋の長夜にただ一人寝て、悲しく懊悩しているこの歌の持つ抒情の線は、たしかにそのようなものであるといえるからである。
「あしびきの山鳥のしだり尾の」という序によって、まず、秋の山の木にぽつんとさびしくとまっている山鳥の姿が視覚に来て、ひとり寝のさびしさが象徴的に浮かんでくる。そこへ「あしびきやましだりおの」というオ段音の、細いすべらかな、しかも悠揚せまらざる連続が、声調的にいかにも長い長い感じをともなってひびいて来る。
こうしてわれわれは、悲しい、さびしい、白髪三千丈といった長い長い感じの中に、もどかしく次の句を待ちかまえるのである。
すると下の句で白髪三千丈的なものが、長々しき秋の夜であったことが明らかにされ、つぎに、突如といってよいほど簡単直截に「ひとりかも寝む」という、もっとも余韻の長い心が、もっとも簡単な言葉を借りて、うめきのように投げ出される。
これは、女性の歌、又は人麿が女性の心で詠んだ歌だとする説もあるが、強いてそう解する必要はなく、そればかりか、この上の句のやや樸実ナタッチは、それが男性的のものであり事を思わしめる。
「ひとりかも寝む」という深い嘆きの言葉を、われわれは、人麿が妻に別れて都へのぼる時の
   「ささの葉は み山もさやにさやげども われはいも思ふ 別れ来ぬれば」
と合わせて考える時、人生旅寓の悲しさをしみじみと感じないではいられない。
人麿の多くの傑作の中から、特にこのような歌をぬいたことを怪しむものもあるが、この歌をぬたところにこそ『百人一首』を撰んだ定家の態度がうかがわれるのである。
『百人一首』は決して傑作集ではない。古註が言葉をきわめてこの歌をほめているのを、ちかごろの人の中には笑おうとするものがあるが、それこそ、このような歌のよさを解し得ない笑わるべき目の低さである。
[作者]
柿本の姓は『新撰姓氏録』によれば天足彦押あめたるひこおし人命ひとのみこと の後である。人麿の伝記は多く不明である。出生地については諸説があるが、大和であろうとする説が、一般に認められている。持統・文武の両朝につかえ、年代の明らかな歌でもっとも早い作は、持統天皇の3年(689)4月の日並皇子ひなみしのみこ薨去の際のもの、もっともおそい作は、文武天皇の4年(700)の明日香皇女薨去の際のものである。
天皇や皇子に従ってしばしば吉野・泊瀬等へおもむき、近江・九州・四国などへも旅行し、石見国の官吏となって行った。
『万葉集」には長歌20首、短歌75首、その他『人麿歌集』中のものとして、長歌2首、短歌345首、旋頭歌35首があり、その他、後に出た『柿本集』その他に人麿の歌といわれるものがあ、勅撰集のも248首ほど入っているが、真偽の明らかでないものも多い。長歌を自由自在にこなしている点や、荘重雄大な格調をもつ点、情熱的である点など、万葉第一の歌人といってよい。
百人一首評解」 著:石田吉貞 発行所:有精堂出版株式会社 ヨリ


足引き擦りて登る山

険しき山の尾長鳥

山鳥夫婦は別々に

谷を隔てて眠るとか

尾長き鳥の長き夜

山鳥夫妻の寂しさや

我にも長き独り寝の夜
悠悠長夜長

長似雉鶏尾

弧零只一人

輾轉 如何睡

百人一首の世界」 著:千葉千鶴子 発行所:和泉書院 ヨリ