〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
秋の田の  かりほの庵の 苫をあらみ   わが衣手は 露にぬれつつ 
                                        (てん天皇てんのう)
[口訳]
秋の田のほとりの仮小屋にとまって番をしていると、屋根の苫が荒く隙間が多いために、わたしの袖は夜露にひどく濡れたことである。
[鑑賞]
馬淵以後は一般には農民の作った歌と解されている。しかし天智天皇の御歌してとっている『百人一首』の歌としては、契沖が「天子の御身をおし下して、全くの土民になりかはり、辛苦をいたはりてよませ給ふ」と見たのが妥当であろう。
すなわち仮庵に宿って、夜もすがら稲田の番をしている農夫を仮想し、その農夫になったつもりで詠んだ歌と解すべきである。
しずかな秋の夜、稲田をわたる風の音が聞え、耳をすませば、秋の寂寥をさけぶような鹿の声が遠く聞えたかもしれない。つめたい夜風、しっとりぬれた袖、粗末な庵の中に、背を丸くしている農夫の姿は、荒けずりの彫刻のように素朴であわれである。
妖艶豪華な歌の絵巻を展開しようとした定家は、まず大和国原の秋の韻律を感じ、万葉の世界からの遠いよびかけを感じたのであろう。
『定家十体』中にもこの歌をとり、これを幽玄様の歌としている。
[作者]
天智天皇(626〜671)は第38代の天皇。舒明天皇の皇子で、中大兄皇子と申した。中臣鎌足と謀り蘇我入鹿を誅して蘇我氏をほろぼし、孝徳天皇の皇太子となって大化改新を行った。天皇となって後6年に、都を近江の国滋賀の大津に遷し、10年3月崩ぜられた。
百人一首評解」 著:石田吉貞 発行所:有精堂出版株式会社 ヨリ


刈り入れ時の秋の田の

見張りのための仮小屋は

菅茅葺の粗い庵

泊まりの夜の我の袖

昨日も今日も露に濡れ
秋日田野間

庵屋初搭就

覆蓋草席疏

冷露湿衫袖

百人一首の世界」 著:千葉千鶴子 発行所:和泉書院 ヨリ