りんてん  いま こそひび け うれしくも  とう きょう ばん に ゆき りつつ
【作 者】 ぜん 麿まろ
【歌 意】
輪転機は今まさに大きな音をあげている。新聞の最終版である東京版の編集が終わったのだが、その音を聞きながら安堵している折も折り、その嬉しさに加えて、窓の外には雪までが降りだしてきたことだ。
【語 釈】

○りんてん機==輪転機。巻き取り紙による二面同時印刷の当時としては新式の高速印刷機。
○今こそ響け== 「こそ」 は已然形での係り結びになっているが、呼びかけ命令している語勢を底に持つものと理解しても可。
○うれしくも == 「も」 は詠嘆の係助詞。
○東京版==当時は、遠い地方版から印刷し始め順次発送し、その間に記事の訂正差し替えをい加えて、最終版の市内版すなわち東京市内の販売用が最新・最善の版となった。

【鑑 賞】

明治四十四年作 「街と家と」 の中の一首。歌集 『黄昏に』 (明45) 所収。
本来は三句目の 「うれしくも」 だけが二行目になる形の三行分かち書きになっていた。まさのその 「うれしくも」 は、一行前の、仕事を終えようとしている中での輪転機の響きに向けたものでありつつ、同時に次の行の、折から降りだした都会の雪への妙に浮き浮きとした喜びでもある。
労働を終えた後の快感を揺さぶるような輪転機の響きと、街に降りだした雪、そしてやがてその町に出て行く新聞の新しいインクの匂いまで感じられてくる。
いかにも作者らしい近代的な感覚の明るさに満ちた一首と言える。今やネットでニュースを見る時代になって、この歌の新鮮なイメージが分かり難くなっていることが寂しい限りである。

【補 説】

本作が歌っているのは読売新聞。作者は明治四十一年から大正七年まで読売信Bヌんに勤務していた。一月の読売新聞といえば箱根駅伝の後援である。箱根駅伝が始まったのは大正九年だが、そもそもの駅伝の起源は大正六年の、東京遷都五十年に記念博覧会協賛事業として東京─京都間のリレー競争 「東海道駅伝」 であり、これを企画したのが、当時社会部長だった作者なのである。

【作者略歴】

明治十八年生まれ、昭和五十五年没。享年九十四歳。 哀果は青年時代の筆名。
啄木との親交は有名で、彼を世に出した功績は大。「生活と芸術」 を創刊し、生活をリアルに抒情化することで、短歌の近代化に努めた。
読売新聞、朝日新聞の記者というジャーナリストとして活躍、早稲田大学、武蔵野女子大学で教鞭を執り、日比谷図書館長、文部省国語審議会長等を歴任した。
主な歌集に、ローマ字三行書き歌集の 『NAKIWARAI』 を始めとして、 『黄昏に』 『雑音の中』 『空を仰ぐ』 『六月』 『歴史の中の生活者』 がある。
その他古典研究・新作能・唐詩鑑賞・随筆などの著作も多い。

(近代文学研究者 波瀬 蘭)