ゆふされば だい こん に ふる時雨し ぐ れ   いたくさび しく  りにけるかも
【作 者】さい とう きち
【歌 意】
夕方になると、大根の葉に降る時雨の雨が、これはまた、えらく寂しく、降ったことだったなあ。
【語 釈】
○ゆふされば== 「ゆうふさる」 は、夕方になる、の意。已然形に接続した 「ば」 は順接確定の条件で、 「夕方になると」 「夕方になるので」 の意。
○時雨==秋冬の間に降る、冷たいにわか雨。
○いたく==たいそう、えらく。
【鑑 賞】

第二歌集 『あらたま』 (大10) に収められた、 「時雨」 の連作の中の一首。
「ゆふされば」 で始まり、 「降るにけるかも」 で結ばれる、万葉風の大柄な調べが特徴的だが、そうした古文脈の中に 「大根の葉」 という素朴で俗語的な言葉が挟まれているところが面白い。
そしてそれが不思議に生き生きとした生命を持って描かれているのだ。同様の俗語的な効果は 「いたく寂しく」 の 「いたく」 にも表れている。
こうして混濁すべきものが、太い気魄に貫かれることで、いかにも男性的な見事な諧調を生んだのだ。何度も朗詠することで、その諧調の見事さを味わいたい。
また上の句は、一見俳句にもまがうかのように、名詞止めによる三句切れになっているが、そうした枯淡な光景が、一転下の句で、 「いたく寂しく」 という感傷的な言葉の突然の露出に加えて、詠嘆的な過去の助動詞 「けり」 に詠嘆の終助詞 「かも」 をつけた 「降りにけるかも」 という結ばれ方に展開するという、いかにも情緒的な短歌に転じていく展開も面白い。そして結局は、先述の男性的な調べが、それを単なる感傷や詠嘆にさせないのだ。

【補 説】

「時雨」 の連作では、本作と、それに続く 「ひさかたの しぐれ降りくる 空さびし 土に下りたちて 烏は啼くも」 という歌とが名高い。
この歌にも 「ひさかたの」 という 「空」 にかかる枕詞で始まり 「啼くも」 で終わる古文脈や、その中に 「さびし」 という直接的な詠嘆の言葉が入るところなど本作との共通点は多い。

【作者略歴】

明治十五 (1882) 年、山形県金瓶村の農家守谷伝右衛門の三男として生まれた。昭和二十八 (1953) 年没。享年七十一歳。
本名は茂吉 (シゲヨシ) だが、歌人としては茂吉 (モキチ) といった。
十四歳の時に上京。東京帝国大学医科大学を卒業。子規の歌集により作歌を志し、帝大在学中に伊藤左千夫に入門。卒行後は精神科医の傍ら、 「アララギ」 の中心人物となった。
大正二年第一歌集 『赤光』 を上梓、文壇・歌壇からの脚光を浴び、以降十七冊の歌集を刊行した。
『万葉秀歌』 などの万葉研究、随筆・歌論など多数の著書がある。
歌風は子規の 「写生」 を拡大深化させたものである。短歌は抒情詩であるとし、そこに 「いのちのあらはれ」 を見ようとする立場をとった。

(近代文学研究者 原 善)