おりたちて  さむ さを おどろ きぬ  つゆ しとしとと かきおち ふか
【作 者】 とう
【歌 意】
庭におり立ってみて思いがけない今朝の寒さに驚いたことだ。みればわが庭にもいつかきびしい晩秋の気配がたちこめ、しとどに露にぬれた柿の落ち葉がふかく散りしいている。
【語 釈】
○おりたちて==庭におり立って。
○露しとしとと==朝露にひどくぬれて。 「しとしと」 は状態副詞。下に 「置きて」 が省略されている。普通なら、露はしっとりと置き、雨がしとしとと降るものであるが、なお、置きつつある露、を感じての用語だろう。
○柿の落ち葉深く==柿の落ち葉が重なって散りしいている状態。 「深く」 という連用形の言い捨てに深い余情が籠っている。
【鑑 賞】

大正元年に発表された名高い連作 「ほろびの光」 五首中の一首。
まず寒さの驚きが先行し、その後にその寒さを 齎らした周囲の光景に初めて気がついた、という時間的な経過をそのままに表したかの三句切れは、自然の相に対する深い覚醒がこめられていると言える。
「寒さを」 の助詞 「を」 は 「に」 に言い換えられそうだが、 山に登る」 と 「山を登る」 を比較すればわかるように、 「を」 の方が動作の目標・対象の存在が大きく迫りくる効果を持つのであり、ここでも説明を超えて、 「寒さ」 そのものが迫ってくるのである。字余りで言い捨てた結句の調べにも、それと融け合った作者の無限の嘆きが尾を引いている一方、倒置法的に、柿の落葉が深くして今朝の寒さをことに驚きぬ、の意となって、先に触れた三句で切れた世界が再び繋がっていく、独特の効果を持っている。

【補 説】
「ほろびの光」 の五首は、死を翌年に控えた左千夫晩年の絶唱をなすもので、これはその冒頭におかれている。茅場町での寓居での作。
晩秋、初冬の庭のたたずまいがそのまま万物凋落の姿となって迫り、それに直面した驚きが同時に深い寂寥感となって一首に流れている。
単なる叙景を超えた、人生の透徹した悲哀感が、読む者の心に深く響いて来る。この哀韻こそ左千夫が至り得た独自の歌境で、彼自身は 「声調のほびき」 という言葉を用いて門下に教えたという。
【作者略歴】
元治元 (1864) 年生まれ。大正二 (1913) 年没。享年五十歳。上総国武射郡殿台村 (現千葉県山武市殿台) の農家に生まれる。
伊藤並根から茶の湯と和歌の手ほどきを受けた。初期の作品は桂園調であったが、万葉集を学び、独自の歌論を展開する様になる。
子規に論破された後、その門人となり、子規没後も根岸短歌会の機関誌 「馬酔木」 を創刊。森鴎外の観潮楼歌会に出席し、他派の歌人と交流の機会を得た。
明治 四十二年には 「アララギ」 を創刊し、万葉風の写実主義を深化させた。
島木赤彦・斉藤茂吉・小泉千樫・土屋文明など多くの後進を育て、歌とは心の叫びであるとする 「叫びの説」 を唱えた」。
小説 「野菊の墓」 は、夏目漱石に激賞されたことでも知られる。
(近代文学研究者 波瀬 蘭)