【作 者】塚本
邦
雄
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【歌 意】 |
あのモナ・リザの謎めいた微笑のように、永遠に妖しく美しくあり続けることだ。十一月の火事のとき、炎の中で焼けながらも、ひとり音を奏でていた一台のピアノは。 |
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【語 釈】 |
○ほほゑみ== 「モナ・リザの微笑」 のこと。
○はるかなれ==形容動詞 「遥かなり」 の已然形・命令形。 「遥か」 は遠く隔たった意だが、 「遥かな尾瀬」
という唄でもわかるように、その遠さが憧れを生むのである。
○霜月==陰暦十一月。 |
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【鑑 賞】 |
『感幻楽』 (昭44・9) 所収。昭和四十二 (1967)
年作。『律─短歌と歌論』 (昭43・1) の巻頭を飾った作品。
『感幻楽』 の中では 「羞明 (シュウメイ) レオナルド・ダヴィンチに献ずる58の射祷
(シャトウ) 」 中の一首。
難解な塚本短歌の代表のような歌だが、彼が得意とする喩法とは、AはBのよう (にC) だ、あるいは、AとかけてBと解く
(その心はCだ) 、というものであり、普通は結びつかない (遥かな距離にある) AとBの衝突で生じる衝撃が魅力となっている時、章題から
「モナ・リザの微笑み」 のイメージが借りられていることがわかれば、そのAと下の句のピアノのイメージBが重ねられていることを味わえばそれだけで足りるのである。
なぜ二つが結びつくのかとというCの部分に何が入るのかの解釈は人それぞれでいい。 篠弘は、 「永遠の侮しみ」
、 「いいしれぬ『無残な孤立」 を読んでいる。
構造としては、倒置法が取られ、上二句が 「ピアノ一台」 の下の続く。「ピアノ一台 (こそ) と読めば係り結びの已然形となるが、
「ピアノ (よ) 」 と読んで、ピアノに向かっての 「はるかであれ」 という命令形と取っても良いだろう。実在のモナ・リザに肖せた肖像の微笑み、それに肖ていると見立てる
(あるいは肖ろと命ずる) 作者。その時 「肖て」 という用字法もなかなかに興味深いものである。
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【補 説】 |
一連の中には、 「モナ・リザのゑまひの彼女わかものの貌
(カホ) 立つ 葉月こそ夏の燠 (オキ)
」 という歌もあり、やはり 「モナ・リザの微笑み」 を扱っている。
ピアノもまた作者お気に入りの小道具で、処女歌集 『水葬物語』 の中の、 「革命歌作詞家に凭 (ヨ)
りかかられてすこしずつ液化してゆくピアノ」 が有名である。 |
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【作者略歴】 |
大正十一 (1922) 年、滋賀県生まれ。平成十七
(2005) 年没。
昭和二十二年、前川佐美雄に師事し、 「日本歌人」 に入会。第一歌集 『水葬物語」 でデビュー。その方法意識の鮮明さにおいて現代短歌史上類を見ないものであり、反写実的・幻想的な喩とイメージ、明敏な批評性に支えられた作風によって、岡井隆・寺山修司と共に、その中核的存在となり、作歌・評論に指導的役割を果たした。
短歌結社 『玲瓏』 を主宰。主な歌集に 『装飾樂句』 『日本人霊歌』 『緑色研究』 『感幻楽』 『天変の書』
等、小説に 『紺青のわかれ』 等、評論に 『夕暮れの諧調』 『定型幻想論』 等がある。
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(近代文学研究者 原
善) |