白玉しらたま の  にしみとほる あき の  さけ はし かに  むべかりけり
【作 者】若山 わかやま 牧水 ぼくすい
【歌 意】
玉のようにきれいなな白い歯、その歯にしみとおるほどの、秋の夜に飲む酒こそは、ひとりで、し ずかに飲むのにふさわしいのだ。
【語 釈】
○白玉==白い玉で、白玉のように美し、の意。
○夜の酒==同じ一年のうちでも、秋の静かな夜に飲む酒は、の意。
○飲むべかりけり==当然飲むべきものだ、の意。
【鑑 賞】

初期の 『路上』 (明44) に収められた一首。牧水を代表する有名な一首である。
現代の我々は冷酒の純米吟醸酒などを飲みながらこの歌を思い浮かべるところだが、当時とし ては当然常温酒である。しかし、だからこそそれが 「歯にしみとほる」 ということで、まさに 「秋の」 酒の旨さが歌われているのである。
なるほど酒は胃の腑に落ちる前に喉を潤すが、さらにしの前に口に含んだところで舌でも歯でも 味わうものなのである。
第一句 「白玉の」 が調子の上で軽く休止するために、どこへ係ってゆくのか迷わせるところがあ り、 「白玉の酒」 と捉えて、清純な酒と解釈する向きもあるものの、飲んでいる人が自身の歯の 白さを 「白玉」 に譬えるのは嫌味にも思えるが、ここでは素直に 「白玉の歯」 と解した。
しかし 「歯」 であれ 「酒」 であれ、その白さ、冷たさ、旨さが 「しもとお」 っている以上、実はどち らでも大差はない。この歌は理屈で考えるよりも、何よりも調べをこそ大事にすべき歌なのである 。
この休止を受けて、二句から三句までは一息に続いてゆき、こきざみな優しい調べをなす。それ を、四句目の 「酒は」 が主題的にしっかり受け止めて一首の体勢を整えてから、大きく、ゆるや かに 「静に飲むべかりけり」 と歌い 据えて、朗々高誦すべき佳調を生んでいる。

【補 説】
牧水は 「幾山河 越えさるゆかば さびしさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく」 の歌で知られるよう に旅の歌人であるが、また同時に酒の歌人でもあった。晩年まで酒にひたり、その酒から歌が生 まれ、旅が続けられた。牧水にとって、酒こそは、旅とともに人生そのものであり、芸術そのもの であった。
昭和三年九月十七日、すでに衰弱して飲めなくなっていた酒を少しふくませてもらって、この醇 乎たる詩人の魂は昇天したという。
【作者略歴】

明治十八 (1885) 年八月二十四日、宮崎県生まれ。昭和三 (1928) 年没。本名繁。
十八歳の時、号を牧水とする。早稲田大学在学中に、尾上柴舟の門に入り、前田夕暮と共に 「 車前草社」 に加わり、自然主義的な作風を目指した。
明治四十一年七月に処女歌集 『海の声』 出版。以降、 『別離』 『路上』 『砂丘』 『くろ土』 『死 か芸術か』 など多くの歌集を刊行。
創作社を興し詩歌雑誌 『創作』 を主宰。高弟に夫人登志子・長谷川銀作などがいる。
旅と酒を愛し、旅にあって各所で歌を詠み、日本各地に彼の歌碑がある。

(近代文学研究者 波瀬 蘭)