【作 者】坪
野
哲
久
|
【歌 意】 |
豪華な黄色の面を太陽に誇らしげに向けていた向日葵は、夏が過ぎ去ると共に、黒く立つ孤独
な姿となったが、衰亡の姿のままに、冒し難い輝きを帯びていることであるよ。 |
|
【語 釈】 |
○衰亡の姿== 「姿」 は 「なり」 と読ませている。いずれにせよ「形」
や 「様子」 としていないと ころに、向日葵を擬人化したかの歌いぶりが味わえ、その 「衰亡」 に作者の人生を重ねている
だろうという解釈を促していく。 |
|
【鑑 賞】 |
歌集 『春服』 所収。昭和三十七 (1962) 年作。「喪の旋律」 の章の 「新秋」 と題する九首中の一
首。
川端康成は名作 『山の音』 の中で、主人公尾形信吾に向日葵を男の象徴として眺めさせるとい う、稀なる想像力を発揮したが、なるほど向日葵は生命力の漲る花である。そしてそれとの対照
の中で信吾は自らの老いの衰えを自覚していくのだが、そうした夏の花の王者である向日葵も、 時がめぐり去って華やかさを喪えば、他の多くの花たちと同じく哀れの対象になる他はない。
しかし作者は、その衰亡の姿の中に、ある輝きを観てとっている。
夏の豪華絢爛とした、あるいは猛々しい姿にはほど遠く、むしろ孤影とも呼びうる姿ではあるが、 決して悄然としてはいない。むしろその衰亡の中に、それまでの生の中で充実した務めを果たし
た者のみが発揮しうる冒し難い輝きを観ることで、賛嘆の声を放ったのである。
ところでこの時の作者は五十六歳。当時としては立派な老齢に当る。老いた向日葵の姿から輝 きを感じる作者には、信吾にはない老いの矜持が感じられる。
「衰亡の姿」 を見せる老いとは、しかしそれ以前の充実した生の積み重ねの結果なのである。
|
|
【補 説】 |
こうした本作のような発想の背景には、作者がプロレタリア短歌運動に関わる、まさしくプロレタリ
アートとして逞しく生きてきたことがあろう。本作と同じ 「新秋」 一連中には |
「北ざまに 陸稲かしぎ おのずから さだまる形 わが胸に沁む」 |
|
という歌もあり、 「陸稲」 の 「かしぎ」 は、それまでの生の充実の結果であり、それを果たした者
への、熱い共感が通っている。 |
|
【作者略歴】 |
明治三十九 (1906) 年九月一日、石川県に生まれる。
大正十四 (1925) 年東洋大学に入学。その後、 「無産者歌人連盟」
「プロレタリア歌人連盟」 に 参加。昭和十二 (1937)
年 「鍛冶」 創刊。昭和六十三 (1988) 年十一月九日、八十二歳で没。
歌集に 『九月一日』 (昭5) 、「百花」 (昭14)
、『桜』 (昭15) 、『一樹』
(昭22) 、『北の人』 (昭33) 、 『碧元』
(昭46) 、『春服』 (昭46) 、『胡蝶夢』
(昭49) 、『人間日暮』 (昭63)
、『留花門』 (平2) などがあり、他に 『昭和秀歌』 『万葉秀歌』
などの著書がある。
|
|
(近代文学研究者 波瀬
蘭) |