うまお の ひげ のそよろに あき は  まなこを じて おも るべし
【作 者】なが つか たかし
【歌 意】
馬追虫のあの長く繊細な髭がそよりと戦 (ソヨ) ぐように、音もなく忍び寄って来る秋の気配は、目 を閉じ、心を澄ませて感じとるにふさわしいものであることだ。
【語 釈】
○いまおひ==馬追虫。きりぎりす科の昆虫。すいっちょのこと。体長の倍ぐらいの髭 (触覚) が ある。その鳴き声が 「チョッチョッ」 と馬を追う声に似ている。
○そよろ==ものに触れて発する微かな音を表す。ここでは視覚的に、長い髭の動くさま、として 用いられている。
○想ひみるべし == 「思ひみる」 は瞑想するの意。 「べし」 は妥当の意を表す助動詞。
【鑑 賞】

明治四十年作 「初秋の歌」 十二首中の一首。
上の句を 「馬追虫のひげをそよろそよろと吹きつつ訪れて来る秋 ─ その秋は」 という具合に、 実際に髭が揺れているものとして取る解釈もあるが、 「うまおひの髭」 は 「そよろ」 にかかる序詞 的なものと受け取るべきだろう。
「まなこを閉じて 想ひ見るべし」 には、観念的なポーズが目立つかも知れないが、こういう実感に 根差した清新な歌境は節によって初めて捉えられたものといっていい。
「目にはさやかに見え」 ぬ秋の到来を 「風の音に」 よって驚きつつ知るのと同じ、無形の秋意を 捉えて居るという点で、抒情詩における写生の一進展を示すものであった。
西洋にあっては、例えばボードレールによって、 「さらば輝かしき夏の光よ」 と、来るべき冬に繋 がる厭うべきものとして歌われる秋の到来は、日本においては、本作が歌うように瞑想の対象で あり、歓迎されるべきものであるのだ。

【補 説】
「初秋の歌」 一連には、
「小夜ふけに 咲きて散るとふ 稗草の ひそやかにして 秋さりぬらむ」
「おしなべて 草木に露を 置かむとぞ 夜空は遠く 相迫り見ゆ」
といった、深い意味での主観が浸透していて、単なる写生に終わっていない秀作が多い。写生 派としての節の特色は、むしろ、不朽の名作と謳われる小説 『土』 の方に多く出ている言えるの かも知れない。
【作者略歴】

明治十二年、茨城県結城郡に豪農長塚家の長男として生まれ、病気のため水戸中学を退学し て作歌に専念した。
て作歌に専念した。 その環境から終生農村の風土に深い親しみを感じ、名作 『土」 に見られる濃厚な地方色を自己 の芸術に樹立した。
明治三十三年二十三歳の時、指揮を訪ねて入門し、伊藤左千夫の豪快な性格とは対照的な温 厚な君子人として、子規の深い愛顧を受けた。
子規歿後、左千夫と共に 「アララギ」 の編集を担当。明治三十九年から四十三年の 『土』 に至 る間は小説家として活躍した時期だが、大正三年 「鍼 (ハリ) の如く」 の傑作を発表し、その清 純透徹にしてきめの細かい歌風を完成した。
この頃から既に喉頭結核の死病に犯されていたが、翌大正四年、齢僅か三十七歳にして福岡の 九大病院において客死した。

(近代文学研究者 原 善)