立山たてやまうしろ 立山たてやま に かげ うつす  ゆう とき の おほ きし かさ
【作 者】かわ じゅん
【歌 意】
沈む夕日を受けて私の立っている立山がいま後立山連峰に影を映している。
このひととき、山頂 一体を占める厳かで大きな静寂さであることよ。
【語 釈】
○後立山==立山山系に平行して、その東部を南北に走る白馬連峰のこと。立山側から見てそ の背後になるので、この呼称がある。
○大きしづかさ==広大な空間を占める静かさ。
【鑑 賞】

『鷲』 (昭15・6) 所収。 「七月下旬越中立山に登るとて」 という詞書を持つ、『立山頂上 立山行 二』 中の一首。

「現見 (ウツソミ) の 眼はもとどかぬ 谷底より ここにここゆる 黒部川の音が」
に続いてこの一首がある。「晩景」 の小注がある。題明のように立山山頂での作である。
日本海に没していく夕陽を受けて、作者の佇む立山の影がみるみる白馬連峯山腹をがい上が っていく、と言うのである。
「うつす」 は、その意味で 「映す」 であり 「移す」 でもあろう。そしてその影の一番上には自分が 立っているのである。大自然の雄大さに比して人間の卑小さを感じさせつつ、自然を一体化した 思いをそこに見ることも可能である。
荘厳な静寂と寂陵を籠めたその一時 ── それを、 「静かさ」 を 「大き」 いと空間的に捉えた実 に雄偉な把握の仕方に注目したい。
大自然の生命と主観とが融けあった希に見る絶唱と言える。
【補 説】
もともと、順の歌詞は軽くすべらない重厚さを特徴とする。この連作 「立山」 五十七首は、作者の 丹鹿野最高峰をなす 『鷲』 を代表するもの。
連作の中には、五色小屋付近での
「沙羅峠 (サラトウゲ) 眼にあらはなれ うつそみの 人ひとり行かぬ 道灼けて居り」
や、たまたま目にした鷲をよんだ
「山空を ひとすじに行く 大鷲の 翼の張りの 澄みも澄みたる」
「立山の 外山は空の 蒼深み 一つの鷲の 飛びて久しき」
など、雄勁をきわめた名作があり、稟質と対象との合致した生涯の代表作をなしている。 
【作者略歴】

明治十五年 (1882) 、東京市市下谷の三味線堀に、漢学者川田剛 (甕江) の三男として生まれ た。
東大法学科卒業。住友総本社に入社し、昭和十一年の退職まで重職にあって敏腕を振るった 。
歌は十六歳の時、佐々木信綱の門に入り、 「心の花」 創刊から同人として参加した。
大正中期、窪田空穂を知り、初期の浪漫的傾向から写実的作風に転じ、次第に重厚な作品を 示すようになった。
歌集には 『技芸天』 (大7) 、 『海梅経』 (大11) や芸術院賞を受けた 『鷲』 (昭15) 等があり、戦 後も 『東帰』 (昭27) のごとき優れた作品を残した。
中世、特に、新古今集時代の和歌に詳しく 『西行』 (昭14) をはじめ 『藤原定家』 (昭16) 等、多 くの研究書がある。
戦後の、老境の恋愛事件などでは社会的反響を巻き起こしたことも有名。
昭和四十一年没。

(近代文学研究者 原 善)