「このあじ が いいね」 ときみ が  ったから しち がつ むい は サラダ記念日
【作 者】たわら
【歌 意】
私が手によりをかけて作ったサラダ。それをあなたは 「この味がいい」 と褒めてくれた。
だから今日の七月六日をこれからは 「サラダ記念日」 と呼ぼう。
【語 釈】
○君==恋人のこと。
【鑑 賞】

作者自ら <一月一日とか、二月十四日とか十二月二十四日とか、そういう特別な日ではない日、それを記念日と呼びたかった> ( 「たなばたの予感」 平元・7) と述べているように、それまでの詩歌の歴史の中で見捨てられていた、日常生活の瑣末な断片を詩の題材として拾い上げていくことが目指されているのだとして、それは日常語を定型の中に取り入れて歌語としての生命を吹き込もうとするのとパラレルな在り方だった。
<自分が使っている言葉でいまの思いを表現する方が、ずっと自然だ> ( 「五音七音の魅力」 昭62・6) とする彼女の歌は、その口語への共感と、誰でもが感じる <いまの思い> への感情移入の容易さによって、多くの読者に受け入れられた。
「彼が言ったから」 私はこの日を勝手に心の中で記念日にしているのだ、という独白ではなく、 「君が言ったから」 なのだ、と当の相手に伝えている、この歌は紛れもない相聞歌である。
しかし 「彼が」 と詠えばその思いを読者に伝える形になるのに対し、 「君」 に向けて歌われることで、例えば 「この味」 とはどんな味なのか、どんな 「サラダ」 だったのか、等々の具体性への疑問、それの関する他者の納得などを一切考慮しないところで、甘い二人だけの相聞が奏でられているのだ。

【補 説】

師匠の佐々木幸綱の 「直立した一行の詩」 としての自立性という点では、はなはだ弱いところも有る。しかしそれは何でも代入可能だということでもある。歌の中では、愛しあう者達にとっては、そのように昨日も今日も明日も皆何かの記念日になってしまうのだという、 「やれやれ」 と言いたくなるような当てられる甘さを醸し出しつつ、この歌に触れた多くの若い読者には、自分もこのように歌を作ればいいのだという代入を促していったのであり、その代入可能な空疎さが却って一大ブームを生み出していくことに与っていくという現象を生み出したのである。 いずれにしても現代短歌史における大きな事件であり、その功績は計り知れないほど大きいといえる。

【作者略歴】

昭和三十七年、大阪府に生まれる。六十一年、 「八月の朝」 で角川短歌賞受賞。
六十二年第一歌集 『サラダ記念日』 (第三十二回歌人協会賞受賞) が刊行され、二百六十万部以上の売れ行きとなり、歌壇を越えて注目を集める。
国語審議会の委員を勤めるなど、歌壇以外でも幅広く活躍している。
歌集に 『かぜのてのひら』 『チョコレート革命』 がある他、随筆集や古典の現代語訳等の多くの著書を持っている。

(近代文学研究者 原 善)