ヒヤシンス うすむらさき きにけり はじめてこころ ふる ひそめし
【作 者】きた はら はくしゅう
【歌 意】
ヒヤシンスが薄い紫色に咲いたことだっけ、初めて、人恋しさに、心がふるえはじめた、あの日に。
【語 釈】
○心顫ひそめし日==はじめて、心のおののきを感じた、その日に、の意。 「顫」 はセン。ブルブルと小刻みに震えわななく意。 「そめし」 は 「初めし」 。
【鑑 賞】

処女歌集 『桐の花』 冒頭の 『銀笛愛慕調 (1) 春』 の群作の一首。
全て少年の甘美な初恋の慕情を、都会風に美しく繊細でやるせない感覚に捉えて、華やいだ哀しさを歌いあげている全編十七章、三十八首の中でも、本作はひと際秀でている。
「はじめて」 「そめし」 は普通ならくどくなるところだが、まさしく 「初」 恋の情を歌い上げるにふさわしく、 「さいていた」 ではなく、この日まさに 「はじめて」 咲いた、ということにもつながっていて見事である。
こまやかな心理的動揺を表すにふさわしい 「顫」 という用字法で、初恋のおそれがよく表現されているし、 「けり」 の詠嘆も利くなかで、薄い花弁にも似た心の繊細な震えが色彩感覚豊かに描かれている。
その意味で、この一首の中心に咲く花は、ヒヤシンスでなけらばならないはずである。作者の故郷である水郷柳川の水路に咲いた、ウォーターヒヤシンスを特に指したものと思われるが、この花の感覚、姿態の優しい美しさを 「ヒヤシンス」 という五文字の片仮名は象徴して余すところがない。

【補 説】

和名 「風信子」 の名も優しいものだが、本作ではやはり 「ヒヤシンス」 という片仮名表記が利いている。群作の中では、それ以外にも、モウパッサン、スレート屋根、ココア、ミルク、アマリリス、パノラマ、パリス、ラムボオ、ジン、ナイフとフオク、ソロ、ウイスキー、クラリネット、トロンボーン、と大正二年刊行当時のハイカラな外来語、片仮名があふれている。

【作者略歴】

明治十八 (1885) 年福岡県生まれ。昭和十七年没。
若くして 「明星」 「文庫」 に属したが、その出発は詩人としてであった。
二十代に既に詩集 『邪宗門』 、歌集 『桐の花』 の著者として不朽の名をうたわれるに至った。
新詩社の中でも、特に浪漫的な象徴詩風に近代の哀感と耽美と頽廃とを託し、近代詩としての短歌美を樹立した功績は大きい。
昭和十年歌誌 「多磨」 を創刊して旺盛な作歌を行いながら、多数の優れた門下を育てた。
詩、短歌の他にも、童謡・民謡・随筆濤、広範囲に亘る超人的な活躍をした。
歌集では 『雲母集 (キララシュウ) 』 『雀の卵』 『白南風』 『渓流唱』 『黒檜』 等が名高い。

(近代文学研究者 紫安 晶)