うらうらと れるひかり に けぶりあひて  きしづもれる やま ざくらばな
【作 者】わか やま ぼく すい
【歌 意】
うららかに照っている春の光に、ぼうっと互いに煙りあって、今、満開のままに静まりかえっていることよ、山ざくらの花は。
【語 釈】
○うらうらと==うららかに、の意の副詞。日差しが柔らかで長閑なさま。
○けぶりあひて==満開の花が柔らかな日差しを受けてけぶったように見えるさま。 「あひて」 の 「合う」 は、一つ一つの花が互いに、の意。
○咲きしづもれる==しんとした静けさで咲き揃っているさま。 「咲きも残らず、散りも始めず」 と古語に形容された満開の状態。
【鑑 賞】

第十四歌集 『山桜の歌』 の中心をなす二十三首の連作 「山ざくら」 の中の第二首。
大部分の歌が 「山ざくら花」 の体言止めになっており、それが悠々たる大らかな声調を成す連作の中で、本作がとりわけ大らかで見事な声調を持っているのは、上句全部を古歌の調べに拠ったからである。
万葉集巻十九にある大友家持の名高い 「うらうらと 照れる春日に ひばりあがり 心悲しも ひとりし思へば」 の、上句の語句と詞調をそのまま借りていることは分かりやすかろう。一、二句がほとんどそのままに用いられているが、第三句が、三音を繰り返す六音の字余りであることも二つの作に共通しているのだ。しかも上句すべてを古歌に拠りながらも清新明朗な歌に成し得ているところは感服させられる。
円熟を極めた珠玉の名品とされる所以だが、今を盛りに咲き揃っている満開の風情を歌い、その気品を写してまさに余すところなく、山桜を詠んでこれにまさる作品はない、とされている。

【補 説】

四十四歳で没した牧水にとっては三十九歳のこの時は既に晩年に当り、早くも円熟した歌風に達している。
大正十一年 「三月末より四月初めにかけ、天城山の北麓なる湯ヶ島温泉に遊ぶ。付近の渓より山に、山桜甚だ多し。日毎に詠みいでたるを此処にまとめつ」 と詞書している連作には、本作の前に置かれた 「うすべにに 葉はいちはやく 萌えいでて 咲かむとすなり 山桜花」 を始め、いずれも一幅の日本画のような名品が並んでいる。

【作者略歴】

明治十八 (1885) 年八月二十四日、宮崎県生まれ。昭和三 (1928) 年没。
十八歳のとき、号を牧水とする。
早稲田大学在学中に、尾上柴舟の門に入り、前田夕暮と共に 「車前草社」 に加わり、自然主義的な作風を目指した。
明治四十一年七月に処女歌集 『海の声』 出版。以降、 『別離』 『路上』 『砂丘』 『くろ土』 『死か芸術か』 など多くの歌集を刊行。
創作社を興し詩歌雑誌 「創作」 を主宰。高弟に夫人登志子、長谷川銀作などがいる。
旅と酒を愛し、旅にあって各所で歌を詠み、日本各地に彼の歌碑がある。

(近代文学研究者 原 善)