【作 者】与
謝
野
晶
子
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【歌 意】 |
木の間にみえる染井吉野のはかなげな色、その白い色ぐらいのはかない命を保ちながら日を送っている今年の春であることだ。 |
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【語 釈】 |
○染井吉野==桜の一種。東京染井の植木屋から売り出されたことからくた名称。花は葉の出ない先に開き、蕾は淡紅色から次第に白に変る。花が沢山つき華麗だが、寿命は短い。
○白ほどの==“花の” 白さぐらいの。 「ほど」 は程度を示す形式名詞。
○はかなき命 抱く春かな== 「はかなき」 というのは病床にあるからでもあるが、最愛の者に先だたれて生き長らえている儚さどもある。
「かな」 は詠嘆の終助詞。 |
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【鑑 賞】 |
『白桜集』 所収の 「白日夢」 と題した一連中の一首。
昭和十六年作。鉄幹の没後、とかく健康のすぐれなかった作者は昭和十五年の五月、脳溢血で倒れ、二年後の同じ五月に没した。
「白日夢」 は寛の七回忌に当る年の病床吟で、作者晩年に至りついた境地をここに窺うことができる。
病臥の身にいつしか今年も春が訪れ、見ると木の間にはあの染井吉野が薄い色の花を咲かせている。そのはかなげな花の白さほどの寂しい命を抱きながら、こうして春の日を生き長らえているというのである。
もちろん作者の胸には亡き夫に遅れて独り病床に臥している寂しさがあるのだが、それを表だてず、寂しさを 「白さ」
という別の感覚で描きながら、ただ淡々と読みあげっている。 悲しむのでもなく、侘びしむのでもない。白々と咲く花を見遣りながらただ独り臥しているのであり、そこに言い難い一種の哀れが漂っている。絢爛ならざる桜の寂しさを歌う名歌と言えよう。
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【補 説】 |
本作所収の 『白桜集』 には、晶子らしい才気を微塵もとどめない、清澄な落ち着きを持ち、ある種の諦念を思わせつつも哀れ深い作品が多い。
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「病む人は はかなかりけり もつれたる 文字の外には
こし方もなし」 |
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「自らは 不死の薬の
壺抱く 身と思ひつつ 死なんとすらん」 |
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「わが上に 残れる月日
一瞬に よし替へんとも 君生きて来よ」 |
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「死も忘れ 今日も静に
伏してあり さみだれそそぐ 柏木の奥」 |
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同じ病床吟であること以上に、そこには子規晩年の作に通うものが見られよう。
なお晶子の法名は 「白桜院鳳翔晶燿大姉」 といい、その忌日 (五月二十九日)
を白桜忌という。 |
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【作者略歴】 |
明治十一 (1878) 年、大阪府生まれ。昭和十七 (1942)
年没。
堺の菓子商鳳宗七の三女。堺女学校卒業。
明治三十三年 「明星」 に歌を発表し始め、翌年、処女歌集 『みだれ髪』 を刊行し、与謝野鉄幹と結婚する。
『みだれ髪』 は、青春の情熱を歌いあげ、浪漫主義運動の中心となる。
歌集には他に 『恋衣』 『白桜集』 など多数ある他、 『源氏物語』 を始めとする古典の現代語訳や評論、日露戦争の反戦詩
『君死にたまふこと勿れ』 でも知られている。
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(近代文学研究者 波瀬 蘭) |