しゅん せつ の  ほどろにこご る みちあさ   りゅう のうれひ しづかにぞ
【作 者】 また おさむ
【歌 意】
春の雪がまだらに凍っている道にたたずむ朝、故郷を離れてさまよううれい、悲しみが静かに湧き上がってくることだ。
【語 釈】
○春雪==春の雪。淡く溶けやすい。
○ほどろに==まだらに、はだらに。形容動詞 「ほどろなり」 の連用形。
○流離==故郷を離れて他国をさまようこと、流浪の意。
【鑑 賞】

『高志』 (昭22) 所収。
作者は昭和六年四月、高等師範学校を卒業し、宮城師範学校に赴任した。意中の人のいる北海道に赴任したかったが、果たせず、傷心の思いであった。
東京からも北海道からも離れてさすらう寂しさが 「流離のうれひ」 に籠められている。
「ほどろに凍る」 という春の雪がまだらに道に凍りついている様子には、作者の寂しい心情が映し出されている。
作品の成立の背景には、補説にも記すような深刻な事情があったわけだが、そうした知識を持たなくとも、作者自身が、
「仙台に発った日は四月の二日か三日であった。東京ではもう桃がほころびはじめていたが、仙台はまさに雪であった。 (・・・) 知る人とていない土地に来て、春の雪にまみれるということは、東京にいて想像している段ではロマンチックであったが、実際にそのことに直面してみるとひどくわびしく悲しくて、私はいつしか感傷にさそいこまれていった。」 ( 『仙台回想』 )
と当時を回想しているように、故郷を離れた 『流離の』思いとしても充分にその 「うれひ」 には感情移入できるはずである。

【補 説】

吉野昌夫の 『評論木俣修作品史』 (昭48) によれば、
「昭和五年の夏、村野次郎と北海道に旅行し、札幌・旭川などをめぐっている。学校卒業を前に 『香蘭』 編集の労をねぎらってもらったわけである。」
が、この旅行で出会った女性 (渡辺しま子) が、この作品の背景であり、彼女との相聞歌は 『市路の果』 にも収められている。
「このことから北海道に就職を希望し、札幌はかなえられなかったけれども、釧路の中学校にほぼ決定したのであるが、郷里の父の許すところとならず、少しでも北海道に近いところという気持ちから仙台の宮城師範学校を選ぶことになった。」
という。
なお彼女とはこの年に結婚している。

【作者略歴】

明治三十九 (1906) 年 〜 昭和五十八 (1983) 年。滋賀県生まれ。
本名・修二。東京高師文科率。実践女子大教授。
少年時代 「赤い鳥」 に自由詩を投稿して白秋を知り、昭和初年、門下となる。
同十年白秋創刊の 「多磨」 に参加。同二十八年 「形成」 創刊。
歌集に 『高志』 (昭17) 、『冬暦』 (昭23) 、『落葉の章』 (昭30) 、『歯車』 (昭31) 、『呼べば谺』 (昭39) 、『愛染無限』 (昭49) などがあり、他に研究書 『昭和短歌史』 (昭39) 、『大正短歌史』 (昭46) 、『近代短歌の鑑賞と批評』 (昭39) などある。

(近代文学研究者 紫安 晶)