うれひ なく わが はあれ こう ばい の  はな すぎてより ふたたびふゆ
【作 者】 とう ろう
【歌 意】
俗事に煩わされる憂いなどなくわが日々はあってくれ。紅梅は花のときが過ぎて、再び冬の裸木に戻っている。
【語 釈】
○花==この場合は花の時期のこと。
○冬木==一年中葉が枯れず緑色をした 「常葉木」 の意味もあるが、ここでは冬枯れの木の意。
【鑑 賞】

本作は、昭和四十年作、 「T冬木」 十首中の一首。
翌昭和四十一年の 「短歌研究」 二月号に 「わが日々」 という題で作者が百首を選んだ、その冒頭に置かれている。
後に、初出連作の表題がそのまま収録短歌集 『冬木』 (昭41) という題名に採られていることでも、作者にとっての、この歌への思い入れの程が分かろう。
典型的な二句切れで、五七調の歌。 「憂いなくわが日々はあれ」 と、五七で先ず歌いとどめた後、 「紅梅の花すぎてより」 と五七調で歌い継いで、 「ふたたび冬木」 という結句の七音を足している。
『紅梅』 は作者の 「小庭の寒紅梅」 (「後記」)
年の暮れから咲きはじめて、やがて花の終わったその寒紅梅の木は、春、新しい芽を吹くまでの間、またもとの冬木の様に戻る、というのだが、二句切れの生み出す間の中で、その微妙な時間を歌い得ている。
歌集 『冬木』 の 「後記」 に 「書名の 『冬木』 は、これをもって老境を暗示しようなどと思ったのではない。私はまだ老いの戸口に立ったに過ぎない」 と述べているが、刊行当時の五十七歳という年齢には、 「老境」 も見えはじめていたであろう。
「花」 の時期を過ぎて迎える 「冬木」 という老年に 「憂」 のなきことを願っているわけだが、 「あれ」 という命令形について、強いというよりももっとおおらかで、 「言葉がゆらぎ出るような感じ」 (由谷一郎 『佐藤佐太郎の秀歌』) という評がある。

【補 説】

「三句以下が内容だが、上に何を附けたらいいか難しいところである」
と作者は 「自註」 で述べており、三句以下が先に出来ていたことが示されているが、それを承けてか、 「この紅梅の歌は非常に繊細な歌ですけれども、五七調のよさを十分に歌い込めた歌といえます。」
とする島田修二は、 「歌をつくるときに、頭からつくるんではなくて下からつくるべきだ」 (『昭和の短歌を読む』) ということの例としてこの歌を挙げている。

【作者略歴】

明治四十二 (1909) 年十一月十三日〜昭和六十二 (1987) 年八月八日。
享年七十六歳。宮城県生まれ。
大正十五 (1926) 年 「アララギ」 入会。 昭和二 (1927) 年より斎藤茂吉に師事。 二十年、 「歩道」 創刊し主宰する。
歌集に 『歩道』 、『帰潮』 、『地表』 、『群丘』 、『冬木』 、『形影』 、『開冬』 、『天眼』 、「星宿』 などの他、『佐藤佐太郎全歌集』 がある。
また 『短歌入門ノート』 、『斎藤茂吉言行』 、『茂吉歌集』 、『佐藤佐太郎書画集』 など多くの著書がある。
芸術選奨文部大臣賞受賞、昭和五十八年、日本芸術院会員。

(近代文学研究者 原 善)