【作 者】山
中
智
恵
子
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【歌 意】 |
立春に咲いた水仙の花。その新鮮なイメージは、たましいの内側に深く入り込んだ水のようなものであると、ひとに親しく告げてみようか。
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【語 釈】 |
○立春==二十四気の一つ。春のはじめの日。太陽暦で二月三日、四日頃。 |
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【鑑 賞】 |
昭和四十四 (1969) 年の作で、 『虚空日月 (コクウジツゲツ)
(昭49・8) 所収の、 『残桜記』 中の一首。
この作者には多くの歌集の他に古事記の伝承に関する研究や、式子内親王に関するもの等、研究・評論の類も数多く、その作品世界も当然のことながら、古典に着材したものが多い。
加えて、ある種神がかり的な、 「歌の申し子みたいなところがある」 (島田修二
『昭和の短歌を読む』)
山中智恵子の歌には、一種の解りにくさのようなものが付きまとっているのだが、この一首は、 (やはり難解さを持ちつつも)
背景の古典世界を離れても、明るい水仙の花が促す生命感をよく見据えた、独立した味わいとリアリティーを持ったものとなっている。
そしてそれを支えるのが、 「魂」 に 「水」 が 「及んだ」 花という、 「水仙」 という言葉が喚起させるイメージであろう。
また 「ひとに告げむか」 という結句。水仙の瑞々しさによってだけでなく、さらには、その美しさを告げ得る人があるということによって、その瑞々しさはいっそう極まり、心の湧き立つ感じがあらわれている。
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【補 説】 |
本作について、 「催馬楽 「さくらびと」 に通じるような幻想的な世界の中で、早春における淡あわとした悲しみをとらえている。」
(篠弘 (井上宗雄編 『若の解釈と鑑賞辞典』)) という評があるが、 「残桜記」 一連の中にある
「時じくの風と相見き夕ざくらひとときののち思ひみがたし」 など、 「残桜記」 にまつわる人の愛情にみちた関係が、如実に物語られているものが少なくない。
なお 「残桜記」 とは、江戸時代の国学者伴信友 (バンノブトモ)
の著書のことである。
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【作者略歴】 |
大正十四 (1925) 年〜平成十八 (2006)
年。名古屋市の生まれ。
京都女子専門学校国文学科卒業。
昭和二十一 (1946) 年 「日本歌人」 に入会、前川佐美雄に師事。
昭和二十七年、十五人集 『空の鳥』 刊。同人誌 『極』 に参加。
昭和四十年五人集 『彩』 刊。古代信仰や呪文的な世界の中に生々しい生の戦 (オノノ)
きを見出した。
特異な幻想的な歌風を特徴とする。
歌集に 『空間格子』 (昭32) 、『紡錘』 (昭38)
、『みずありなむ』 (昭43) 、『虚空日月』
(昭49) 、『青草』 (昭53) などがあり、評論に
『三輪山伝承』 (昭47) 、『斎宮女御徽子女王』 (昭51)
などがある。
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(近代文学研究者 波瀬 蘭) |