やはらかき 躯幹から だ をせむる いくすぢの  ひも ありてこの はれ のをとめ
【作 者】うえ
【歌 意】
やわらかい身体を責め苛むように、そのきらびやかな晴れ着の下に何本もの紐で縛られた身体を隠して、美しく装っている晴れ着の乙女であることだ。
【語 釈】
○躯幹==からだ。特に胴体。本来は 「くかん」 と読む。
○せむる==責める。
○紐==腰紐、伊達〆、帯〆、帯揚げ、等々の和服を着る際に使う紐の類。体を締めるという意味では帯も含まれよう。
○をとめ==乙女、処女。ここでは若い女性という意味で、処女性に重きを置かなくてもいいだろう。
【鑑 賞】

『遊行』 (昭57) 所収の一首。ここで歌われた晴れ着は正月のものとは限らないが、一月号にふさわしく晴れやかな正月の晴れ着を思い浮かべたい。
しかしこの歌は若い女性の晴れ着の姿をただ美しく晴れがましいものとしてのみは見ていないところが面白い。
晴れ着の美しさの大きなポイントに帯のデザインがあり、人が女体を締め付ける帯に目を止めるのは分かり易いことだが、作者は着飾った女性の晴れ着の裏側に彼女の体を締め付ける夥しい数の紐の類を幻想しているのだ。
それはまるで梶井基次郎が妖しくも美しく咲き誇る桜の木下の地面の中に屍体が埋まっているところを幻想してしまうのに似ている。
その作者の視線が、窮屈を強いられた女性への同情なのか、皮肉なのか、読み方は分かれるところだろうし、緊縛された女体にエロスを読むのも読者の自由ではある。
しかしいずれにでよそこには医師でもある作者の冷徹な目があることを忘れてはなるまい。
作者には 「揺られる躯幹よりいたく精妙にその春服の胸揺れてをり」 という似たような視線で歌われた歌もある。

【補 説】

岡井隆は 『現代百人一首』 に本作をい採り、 「こういうところに、ひょっとすると、散文作家としての上田三四二がいるのかもしれない。(・・・) むろん平素女が和服を着るところを見て知っているから、こういう連想が生まれる。並みの歌人ならば言及しないところへ眼がとどき言葉が働く。そこに医師兼歌人上田の本領が、すくなこともその一つがあった。」 と述べている。

【作者略歴】

大正十二 (1923) 年七月二十一日〜平成元 (1989) 年一月八日。兵庫県生まれ。京都帝国大学医学部卒業。
国立京都療養所、国立療養所東京病院に勤務。
医療の傍らアララギ派の歌人として出発。昭和四十一年に結腸ガンを病んだことが大きな転機となり、生と死を見つめることが大きなテーマとなった。
歌集 『湧井』 で釈迢空賞、 『遊行』 で日本歌人クラブ賞、昭和六十二年日本芸術院賞を受賞。
小説家、文芸評論家でもあり、 『うつしみ』 で平林たい子賞、評論集 『眩暈を鎮めるもの』 で亀井勝一郎賞、 『島木赤彦』 で野間文芸賞、 『この世、この生』 で読売文学賞、私小説短編集 『惜身命』 で芸術選奨、 「祝婚」 で川端康成賞を受賞。

(近代文学研究者 波瀬 蘭)