ゆき む かぎりなく む みづうみの  そのない おう の あん りょく かい
【作 者】さい とう ふみ
【歌 意】
雪が限りなく徐々に広がりながら沈んでいく、湖の奥深い所にある深い緑色の世界よ。
【語 釈】
○泌む==「しみる」 の文語的表現。液体の成分などが、徐々に広がりながら内部に及んでいくこと。
○みづうみ== 「湖」 直接的には長野県の諏訪湖を指す。
○内奥==奥深い所。
○暗緑世界==深い緑色の世界。湖底に潜む暗い、見る人もない世界。
【鑑 賞】

『ひたくれなゐ』 (昭51) 所収、 「山湖周辺」 の中の一首、昭和四十二年作である。
諏訪湖には雪が降っている。その雪が、湖底にある深い緑色の世界に、限りなくそして少しずつ沈んでいくのを作者は見ている。
この 「みづうみ」 について、作者は、 「現実のも、イメージのもあって、私の湖です」 と答えており、この 「みづうみ」 は、諏訪湖であって作者の内部にあるイメージの湖でもある。
「内奥の暗緑世界」 とは、作者の内部にある暗い世界であり、それを幻視しているのだ。本来液体がしみこむ意では 「滲みる」 を当て、 「沁みる」 は (体に) 刺激を感じる、 (心に) 深く感じる、の意になるが、しみいる場所が作者の内部であった時、適格な用字法だと言えよう。
「雪が泌む」 「かぎりなく泌む」 というリフレインがまさしく降り続ける雪そのものであるような表現になっている。
雪は果たしてその 「暗緑世界」 を薄めるのか濃くするのか、体言止めでのイメージの提示は後者だと思わせよう。大塚寅彦は 「死と生の両方を抱え込んだ水というもの、そしてそれを深く湛えた 「湖」 が大きな存在としてあった ( 「史の湖」 平14・1) と論じている。

【補 説】

「暗緑世界」 の背景には、この年緑内障で一眼を失明した母親の介護をする生活を強いられていた、ということが当てはまろう。
史には、 「起き出でて 夜の便器を 洗ふなり 水冷えて人の 恥じを流せよ」 という老母を介護する娘の愛の絶唱がある。
「山湖周辺」 には、「水底に ときに小鳥の声とどく くらやみ色に 変色されて」 等、湖の中にやはり何らかを幻視する歌が多い。

【作者略歴】

明治四十二 (1909) 年二月十四日〜平成十四 (2002) 年四月二十六日。 東京市四谷区生まれ。父は歌人斎藤瀏。 軍人であった父に従い、旭川、津、小倉等に住む。
昭和六年、前川佐美雄、石川信雄らと 「短歌作品」 を創刊。
十五年、第一歌集 『魚歌』 を刊行して注目される。
二十年、長野県に疎開し、以後永野市に定住。
幻想味を生かした凄絶、妖艶な歌が多い。
主な歌集に 『歴年』 『朱天』 うたのゆくへ』 『ひたくれなiゐ』 (釈迢空賞) 『渉りゆかむ』 (読売文学賞・詩歌文学館賞) 『秋天瑠璃』 (斎藤茂吉短歌文学賞) 『斎藤史全歌集』 (現代短歌大賞・紫式部文学賞) 、歌文集に 『やまぐに』 、随筆に 『春寒記』 等がある。

(近代文学研究者 波瀬 蘭)