タン ジャウ  エ の よい にこぞり く る モノこえ   すくな くもねこ は わがコブラ  す
【作 者】しゃく ちょう くう
【歌 意】
クリスマスの宵に聞こえて来るのは、どこからともなく集まって来る魑魅魍魎の声のようだ。
少なくとも、現実にいま一匹の猫が、私のふくらはぎに吸い付いているではないか。
【語 釈】
○耶蘇誕生会==クリスマスの意。 「耶蘇」 はキリスト、イエスのこと。
○こぞり来る==集まり来る。 「こぞる」 は全部集まる、残らず揃う、の意。
○魔==魑魅魍魎、魔物のことだが、 「モノ」 というルビからして 「もののけ」 を思い起こせばいい。
○腓==ふくらはぎ。こむら。
【鑑 賞】

歌人釈迢空と言えば民俗学の巨人折口信夫 (オリグチ シノブ) でもあることは言うまでもないだろう。
その民俗学者である歌人が 「クリスマス」 の歌とは、とかなり驚かれる向きも多いだろう。
しかしそこはさすがに折口、バタ臭い西洋の宗教的儀式を 「耶蘇誕生会」 と、何やらおどろおどろしく表記したにとどまらず、訪れる者を、彼の学問の確信である 「マレ人」 としての魑魅魍魎にしたてて全てを土着の色に染め替えたのである。
なるほど、年の暮れという新旧の年が交替する時期に、幸福をもたらす神の訪れを信じてきた長い日本人の土着の生活感情とクリスマスとはマッチするものでもあったのだ。
しかも 「魔」 と言いながらも、怪奇的なおぞましさというよりも、猫が腓を吸っている (!) という何ともユーモラスな雰囲気を漂わせており、いかにも不思議な歌になっている。
吟詠のしやすさは別にして、八・八・五・八・七 という変則的なリズムも、その字余りは何やらが集い来たった感を強めていて効果的である。

【補 説】

「倭をぐな」 所収、 「冬至の頃」 と題する一連の中の一首。昭和二十五 (1950) 年、作者六十四歳の時の作である。
ところで 「諸人こぞりて」 というクリスマスの定番の歌が 『賛美歌』 に入ったのが大正十二年。この 「諸人」 とは東方の博士たちを含む文字通りの人間だが、迢空の歌を知った後では、それに異形の物の姿が重なってくるから不思議である。

【作者略歴】

明治二十 (1887) 年〜昭和二十八 (1953) 年。大阪市生まれ。国学院大学卒業。母校の教授となり、慶応大学教授を兼ねた。
三矢重松に伝えられた国学に、柳田国夫によって開眼した民俗学を導入し、その学究的博覧と詩人的直感をもって、類に稀な国文学の体系を創造し、文学博士となった。
早く伊藤左千夫に師事し 「アララギ」 の同人となったが、後に離れ、 「日光」 を創刊。広汎な古典研究による古語の理解、民俗学者としての社会観察の新鮮さ、豊かに深い自然への愛、執拗な庶民性、特異な人生観、があいまった無気味なまでに独自の歌風をもって、広く支持された。。
歌集に 『海やまのあひだ』 、詩集に 『古代感愛集』 、小説に 『死者の書』 等がある。
日本芸術院賞、日本芸術院恩賜賞受賞。

(近代文学研究者 原 善)