あたらしく ふゆ きたりけり むち のごと  みき ひびき ひ たか むら はあり
【作 者】みや しゅう
【歌 意】
新鮮な感じで冬がやってきた・・・・・。鞭が撓って空気を切り裂くように、竹の幹が響きあっている一群れの竹林がそこに存在している。
【語 釈】
○あたらしく 冬きたりけり== 「けり」 に今年初めて冬の到来に気付いた感動の気持ちが籠められている。
○鞭のごと==鞭のごとく、の意。竹のしなやかで強靭な姿が鞭のイメージで表現されている。
【鑑 賞】

『日本挽歌』 (昭28) 所収。初出は 「短歌研究」 (昭27・1) 。 「冬竹群」 と題された連作十二首の第二首。
激しい冷たい風が吹き荒れ、あたりの空気は張り詰めている。その中で竹の幹のぶつかり合う音に作者は冬の訪れを感じ取っているのである。
「あたらしく」 「けり」 というところに冬の到来を新鮮な気持ちで受け止めていることが分かる。
二句切れで先ずその感動を示し、倒置法的に、その認識の由来を示すのだが、その後半の 「鞭のごと」 という直喩表現には、竹のしなりと動きの激しさが見事に表現されている。
直接には鞭のように響く音という聴覚のイメージであるが、竹の一本一本のぶつかり合いを視覚的にもイメージさせている。しかも 「竹群はあり」 と示されることで、個々の竹が、こんもりとした竹林全体の大きな動きに広げられている。
それが後半の具体的な実景が前半の冬の到来の認識に広げられる歌の構造と正確に見合っている。

【補 説】

島田修二は < 「あたらしく冬きたりけり」 は 「冬の歌人」 とも呼ばれる作者の中の季節感を新鮮なものとしてとらえて、歌いきっている。しなやかで強靭な竹の幹が実感をもって描かれて余すところがない。絶唱というにふさわしい> ( 『短歌シリーズ 人と作品19 宮柊二』 ) と評している。
「冬竹群」 の連作十二首は、上高井戸の作者の家の近くの竹林を詠んだもので、発表当時から評判が高かった。作者にはその他にも 「竹群」 を歌った作品が多い。

【作者略歴】

大正元 (1912) 年八月二十三日〜昭和六十一年 (1986) 十二月十一日。本名肇。
新潟県北魚沼郡堀ノ内に生まれる。昭和八年北原白秋の門下となり、昭和十年白秋主宰の 「多磨」 創刊に加わり、また白秋の秘書となる。
昭和十四年白秋の許を辞去、昭和二十八年、歌誌 「コスモス」 を創刊する。
『定本宮柊二全歌集』 (昭31) で毎日出版文化賞を受賞。第六歌集 『多く夜の歌』 (昭36) で読売文学賞」を受賞。昭和五十二年芸術院賞受賞。昭和五十八年芸術院会員となる。
主な歌集に 『群鶏』 (昭21) 、 『小紺珠』 (昭23) 、 『山西省』 (昭24) 、 『独石馬』 (昭50) 等、随筆に 『埋没の精神』 (昭30) 等、その他の著作に 『短歌読本』 (昭49) 、 『短歌のしるべ』 (昭55) 等がある。

(近代文学研究者 波瀬 蘭)