かすかなる こころかげり も  いて  ひと  ひと おち
【作 者】たか やす くに
【歌 意】
お互いの心の内側の、かすかな感情のかげりをみつめ合いながら、一日一日が静かに過ぎていく。折から毎日落ち葉が散り続けている。
【語 釈】
○心の翳== 「翳り」 は 「陰翳」 の意。音数律的には 「かげ」 と読むべきところだが 「かげり」 と読みたい。
○読み合いて==ここでは、夫婦が互いの心を詠み合って、の意。
○一日一日== 「いちにちいちにち」 と読む方が耳で聞いて分かり易いが、それでは七音の句が八音になって破格にすぎよう」。
【鑑 賞】

『街上』 (昭37・10) 所収、 「コカの苗」 中の一首。昭和三十四 (1959) 年作。
作者は三十七歳。没年から考えてまだまだ若い時の作だが、ドイツ文学の研究を続ける学究として中年を過ぎ行く作者の夫婦生活には、平穏な生活が続く中でも、微妙な心の揺らぎがみられる。直接には言葉に出したり、行動に表したりするような、はっきりしたものではなくとも、家庭内における日常の感情の起伏を、お互いに読み合いながら、お互いに労わりつつ、ひそかに生活してきている。
そうした人間関係をみつめる生き方を、作者はあらためて確認し、静かに肯定している。 「一日一日」 は句跨りになっている中で、毎日が過ぎてゆく、という意と、毎日の落葉、という両方の意味がかけられている。 『落葉』 が降り積もっていく毎日という表現には、ある人生の深まりと翳りが反映されている。しかし作者は決して否定しているのではなく、そこにはある種の充足感も感じられる。

【補 説】

本作も 「落葉」 に自分たちの人生を重ねるような形で、内省的な発想にリアリティーが生まれているが、所収歌集の 『街上』 には、こうした心理の襞を巧みに読み上げた作品が少なくなく、 「小さな善意を売り物にして来しならずやたとえば己の家の中にても」 といった歌もある。
また本作以外にも、 「わらわらと降りつぐ落葉鳥のごと我はいくばく読みたるならん」 と 「落葉」 を歌ったものがある。

【作者略歴】

大正二 (1913) 年八月十一日〜昭和五十九 (1984) 年七月三十日。七十一歳。
大阪市生まれ。京都大学卒。
昭和九 (1934) 年に 「アララギ」 に入会し、土屋文明に師事した。
戦後の新歌人集団に参加、 「関西アララギ」 の選者を経て、昭和二十九年 「塔」 を創刊、主宰した。 知識人の立場から時代の苦悩を歌う戦後派代表歌人の一人。
主な歌集に 『真実』 (昭24) 、 『年輪』 (昭27) 、 『夜の青葉に』 (昭30) 、 『街上』 (昭37) 、 『虚像の鳩』 (昭43) 、 『新樹』 (昭51) 、 『一瞬の夏』 (昭53) 、 『光の春』 (昭59) 、などがある。
長らく京都大学の教授を務め、専攻のドイツ文学、特にリルケ研究に関する論考・翻訳書などの業績も多い。

(近代文学研究者 紫安 晶)