こう しゅう の かき はなさけが ふか くして  おんな のように あかくてしぶ
【作 者】やま さき ほう だい
【歌 意】
甲州の柿は情緒が深くて、情愛の深い女のように、赤くて渋いものである。
【語 釈】
○甲州==甲斐の国の別称。現在の山梨県。
○なさけ==人情をわきまえる心、あわれみ。風流、情趣。男女の愛情。
【鑑 賞】

『迦葉』 所収の一首。<歌意> を示すまでもない、分かり易い内容が歌われたかのようだが、なかなかに深い歌である。
柿が赤くて渋い、ということを歌うだけなら、それまでだが、柿に対して <なさけが深> いということと、それを言うために <女のように> と喩えるところがミソである。
直接には <女のように> は <あかくて渋い> に掛かっている以上、読者は逆に甲州の女が <あかくて渋い> (?) ということを知ることになる。女の <あか> さや <渋> さという中に、なにやら土着的な生命力や執念の深さのようなものが垣間見られるわけだが、それこそが女の <なさけが深> い在り方の内実ということになろう。
そしてそれがそのまま方代の歌の魅力そのものに重なってもいるのである。 <甲州の女は情けが深くて柿の実のようにあかくて渋い> と、所喩と能喩を置き換えて歌い直せば、この歌の魅力がよく分かろう。
その逆転の中で、演歌調、そして民謡調を脱した、方代の歌になっているのだ。そしてこうした方代の独特の口語調は、戦後直後から晩年まで変わることなく続いたものであり、近代短歌史の上で、定型と話し言葉のみごとな擦り合せの一例を作り上げている。

【補 説】

岡井隆は 『現代百人一首』 にこの歌を採り、 <山崎方代の歌の懐かしさのようなものは、長くこの列島に住んで農業を基本にして育ててきた文化の懐かしさで、ほとんど翻訳の不可能なものかもしれない。> として、次のように解説した、
<甲州の柿などと言われても、ただちに武田信玄や江戸後期の天領としての甲府やらを思い出すひと、そして富士を裏から眺める井伏鱒二や太宰治の文学をすぐさま思い出したりする日本人でないと、やはり本当の感じはつかめないだろう。それに方代が甲州右左口 (ウバグチ) 村の産で、戦争に行って銃弾で目をやられた障害の身で、絶えずふるさとをアンビバレンツをもってうたってきたことを知らなければ、ほとんどこの歌は解し難い。しかしそれらの背景がわかっている人間には、何とも言えず演歌的に涙を誘われるところがある。>

【作者略歴】

大正三 (1914) 年、山梨県生まれ。昭和六十 (1958) 年没。
一時、 「一路」 「工人」 などに参加したが、 「寒暑」 同人を経て、 「うた」 などに作品を発表。
口語を自由に生かし、脱俗的な風教に遊ぶ温かい人間味を、現代の喪失感・飢餓感を背景に歌う。
歌集に 『方代歌集』 (昭30) 、 『右左口 (ウバグチ) (昭49) 、 『迦葉』 (昭60) がある。

(近代文学研究者 原 善)