かい ちゅう に  りゆくいし の かい ありて  なつたび つひの ゆく しらずも
【作 者】やす なが ふき
【歌 意】
海岸には海面へ下りていく石の階段がある。私の夏の旅行は、この階段を下りていったまま、いったい何処へいったというのだろうか。
【語 釈】
○海中に入りゆく石の== 「階」 は階段。 「きざはし」 と読むのは音数的に無理だろう。階段はおそらく舟に乗るためのものと思われる。
○つひの==おそまいの、最後の、の意。
【鑑 賞】

『草炎』 (昭45) 所収 「水無月」 中の一首。昭和三十七年作。
夏に訪れた場所を再訪しての実景を詠んだ歌としてもいいが、繊細な感性で、幻想的なものを捉える美しい作風を特徴とする作者であってみれば、すべてを幻想的なイメージとして読んでもいいだろう。
すなわち 「夏の旅」 は実際に夏に行った旅行というよりも、過ぎ去っていく夏から秋へという時間の経過の謂いとすることもできようし、 「海中に入りゆく石の階」 も観光地や海水浴場のそれとするにしても、本来なら確固とした足場に降り立つべき階段が、その降り所を見せない 「海中にいりゆく」 ものであることが、夏が 「行方」 しれずになっていることの極めて巧みな象徴たりえていよう。
そのことで自身の体験であることを超えて、激しかった夏の疲れと、繰り帰された生の徒労という、夏が終るに当っての喪失感や欠落感を見事に歌った普遍的な歌になりえている。
自らの在り処を見失ってしまった悲しみを歌う作者の、虚しさに敏感な感性の冴えを読むことができる。

【補 説】

ボードレールの 「秋の歌」 に
「おお、さらば、さようなら、短きに過ぎし、われらが夏の、生気ある輝き」
と歌われた、行く夏への哀惜の気持ちだが、ヨーロッパほど夏の短くない日本にあっても、やはり夏は様々な新しい体験をさせる季節であり、たとえば
「あの夏の光と影はどこへ行ってしまったの」
と歌う石川セリの 「八月の濡れた砂」 や、俵万智の 「麦藁帽子のへこみ」 といった歌があるわけだが、本作はより深い喪失感を歌っている。
「水無月」 一連の中には、同じく過ぎ去っていく夏を惜しみ悲しむ気持ちを歌った、
「さるすべり たゆたふ枝の 秀にさける 朱見殺して 夏すぎしかも」
という、晩夏の感傷を歌った秀歌もある。

【作者略歴】

大正九 (1920) 年、熊本市生まれ。熊本県立第一高等女学校を経て、熊本師範学校専攻科卒。
昭和三十一年 「棕梠の花」 五十首で第二回角川短歌賞受賞。第四回現代短歌女流賞 『朱泥』 、第二十五回迢空賞受賞 『冬麗』 、第八回詩歌文学館賞受賞 『青湖』 等、歌集十五集、全歌集二回、 『書の歳時記』 など、エッセイ多数の著書を持つ。
読売歌壇選者、 「NHK歌壇」 選者、NHK・BS 「短歌王国」 選者、宮中歌会始詠進歌選者等を務めてきている。

(近代文学研究者 波瀬 蘭)