はな もてる なつ うえ を ああ 「とき 」 が  じいんじいんと  ぎてゆくなり
【作 者】 がわ すすむ
【歌 意】
花をつけている夏の樹木の上を、ああ 「時」 がじいんじいんと音をたてていくかに過ぎていく。
【語 釈】
○花もてる==花を咲かせている。
○「夏樹」==夏の樹木。
○じいんじいんと==暑さと音とを同時に感じさせる擬態語。
【鑑 賞】

『氷原』 (昭27) 所収。 「敗戦とその後」 の中の一首。昭和二十年作。
夏の深い青空のなかに、花の咲き盛る樹木が立っている。その上の方を、今まで停止していた 「時間」 が、急速に動き始めたというのである。
今まで軍務にあった作者が、敗戦を知った時の感慨を歌ったものである。敗戦という衝撃的な出来事への直面、それを境にして別次元の時間が流れはじめたのである。言い知れぬ虚脱感が表れている。
それは、空を仰ぎながら、永らく軍にかかずらってきた年月を想起しているからだ。炎天下の樹木をひたすらに見つめている姿が感じられる。
「時」 とは、その見つめ続けている作者の時間であり、過去に費やした時間であり、これからに向けて流れ始めた時間でもある。
そうした 「時」 という抽象的概念を、際やかに描き出すのに 「じいんじいん」 という擬態語を使った、
第四句の口語的表現が功を奏している。敗戦を真夏の眩しさとして見事に捉え、独特な味わいを見せる作品だが、敗戦という歴史的背景を念頭に浮かべながら読まなくても、次の自解のように、 「時」 なるものを捉えた歌として普遍性を持つ作品になっているのである。

【補 説】

  作品に次のような自解がある。
「巨木のいただきに、花がいっぱい咲いているのが、やや遠い丘の上に見られた。空は、抜けるように紺のいろに、はれあがっていた。いままで、ながいあいだ停止していた時間が、急に、速度をもって、巨木のうえを、流れはじめた。こういう経験は、たれしも持っているであろう。この歌は、そのころ軍部にあったわたくしが、わがくにの敗戦を聞かされたとき、口をついて出たものであった。しかし、そのご幾十年、ひとびとは、そんなことには、かかわりなく、 “時間” というものへの、ひとつの態度として解釈してくれているようである」 ( 「毎日新聞」 昭46・10・23)

【作者略歴】

明治四十三 (1910) 年七月十五日〜平成十 (1998) 年十月十三日。八十九歳で没。香川県生まれ。
昭和四 (1929) 年前田夕暮に師事して 「詩歌」 に入る。前田夕暮の門下として、自由律短歌からはじめ、第一歌集は自由律であったが、夕暮の定型復帰後、定型に復するという、 文体上で大きな転換を遂げた一人である。
夕暮歿後、昭和二十八年 「地中海」 を創刊。野性的なエネルギーを孕んだ抽象に特色がある。
歌集に 『太陽のある風景』 、 『氷原』 、『灣』 、 『印度の門』 、 『木曾川』 、 『甲虫村落』 などがある。
評論集には、 『現代歌人論』 (全四巻) 、 『鑑賞前田夕暮の秀歌』 などがある。

(近代文学研究者 原 善)