この あさ  あさなあさなを よそほいし  すい れんはな   はひらかず
【作 者】つち ぶん めい
【歌 意】
この三日ほどの朝ごとに、その 「朝」 を装うように美しい可憐な花を咲かせていた睡蓮が、今朝はもう開こうとしない、束の間に過ぎていく花の命である。
【語 釈】
○睡蓮==ヒツジグサ科の水草。大きな根茎が泥中に沈下し、葉を水上に浮かべる。七・八月頃、水面に様々な花を咲かせる。その花は毎日開閉を繰り返し数日でしぼむ。
○あさなあさな==一期の副詞。毎朝、朝ごと。略して 「あさなさな」 とも言う。 「な」 は 「夜な夜な」 の 「な」 と同じ反覆の意味。
【鑑 賞】

明治四十二年 (1909) 年作。
歌集 『ふゆくさ』 の巻頭にある 「睡蓮」 の一首。
作者は二十歳で第一高等学校の学生であった。
「みあさあさなあさな」 とa音が連なる柔らかな明るい調べが、 「をよそほいし」 とo音の連なりで優しく引き締められ、 「はなけさはひらかず」 と、再びa音を点綴させつつ、 「ず」 という打消しで一首を結んでおり、一首の韻律は内容にふさわしく、ほのかで柔かい。
また、 「咲く」 と言わずに 「朝を装う」 と表現したところにも、若々しい感受性の在りようが伺える。
「目の付け所に若々しい感傷のはたらきがあり、いかにも清純なリリシズム」 (大林勝夫 『現代短歌』 昭41) があるが、そうした感傷に溺れてはいない。末尾の 「ず」 には感傷の余韻を曳きながら、しかも花の終りを見とどけたと清清しい思いが静かに籠っている。

【補 説】

作者は一高に入学する年の四月、群馬県から上京、伊藤左千夫の家に寄寓した。この睡蓮は、左千夫の庭前のもので、真紅の花であったという。
本作を含め、いかに掲げるような 「睡蓮」 一連の歌は、若々しい 「アララギ」 文学集団の中で最年少のこの作者の出発にふさわしい作品となっている。
日に耽ぢて しぼめる花の 紅は消え 失するかに 色沈まれり
あくがれの 色とみし間も 束の間の 淡淡しかり 睡蓮の花
今朝ははや 咲く力なき 睡蓮や ふたたび水に かげはうつらず

【作者略歴】

明治二十三 (1890) 〜 平成二 (1990)
群馬県に生まれる。東京帝国大学文学科哲学科心理学専攻卒業。
長野県諏訪高等女学校 (県立諏訪二葉高校) 教頭、校長、松本高等女学校 (県立松本蟻ケ崎高校) 校長を歴任後、法政大学文学部予科先任講師 (後教授) 、明治大学専門部文芸科講師、明治大学文学部講師、帝国女子専門学校 (相模女子大) 講師、青山学院女子専門部講師等を歴任。
その間、大分新聞歌壇選者、読売新聞地方版歌壇選者、宮中歌会始選者等を務める。
主な歌集に、 『ふゆくさ』 『往還集』 『山谷集』 『放水路』 『六月風』 『少案集』 『韮青集』 『山下集』 『山の間の霧』 『自流泉』 『青南集』 『続青南集』 がある。
その他、『万葉集年表』 『万葉集私注』 等の著書もあり、芸術院賞、読売文学賞を受賞している。

(近代文学研究者 波瀬 蘭)