おも の ひと つのようで そのままにしておく むぎ わらぼう のへこみ
【作 者】たわら
【歌 意】
思い出の一つのように思えて、夏にかぶった麦わら帽子のへこみをそのままにしておくのだ。
【語 釈】
○麦わら帽子==麦の穂を取り去った後の茎を編んで作った帽子。夏にかぶる。
○へこみ==ある面の一部が周囲より落ち込んだ状態。夏の思い出が、刻まれている。
【鑑 賞】

現代短歌に革命を齎した 『サラダ記念日』 (昭62) 所収の一首。
彼女の登場以降の短歌の傾向が、軽い明るい歌として 「ライト・ヴァース」 (light verse) と呼ばれたが、この歌も口語体を上手く使いこなしている。
上から下へストレートに読み下されていて句切れがないことで滑らかな旋律を生みつつ、下の句の七七で 「しておく麦わら」 「帽子のへこみ」 と句またがりを持つことで音数律の桎梏を破っている。
服部亘志は、 「思い出の一つのようでという出だしの言葉に思い入れがあり軽い音楽性があり」 「不必要な言葉を排除しながら簡潔に麦藁帽子のへこみと結びつけ」 ( 「俵万智」 岡井隆編 『岡井隆の短歌塾6土龍の巻』 平2) ていると鑑賞している。
しかしその一方で決して軽いだけではない、切ない若い女性の想いが歌われてもいる。夏の思い出を 「へこみ」 という形で表現している所に新しさがあるわけだが、 「へこみ」 というマイナスの形で残される思い出は、決して楽しかっただけではないと推測できる。

【補 説】
俵の歌の特徴は、歌集の 「跋」 に師の佐佐木幸綱が記している事に尽きよう。すなわち 「口語定型の新しさ」 と 「失恋の歌としての新しさ」 である。前者については、 「会話体を導入し、文末に助動詞が来る度合いを減らす工夫をほどこしている」 とし、後者については、湿っぽさから、からっとした明るさに転向しているとしているが、いずれもこの歌に当てはまっていると言える。
【作者略歴】

昭和三十七 (1962) 年、大阪府に生まれる。
昭和五十六年四月、早稲田大学第一文学部に入学。在学中に佐佐木幸綱の影響を受けて歌を作り始める。
五十八年、 「心の花」 入会。日本文学科卒業後、神奈川県立橋本高等学校教諭となる。
「野球ゲーム」 で角川短歌賞次席となり、歌壇の注目を集める。
六十一年、 「八月の朝」 で第三十二回角川短歌賞受賞。六十二年七月、第一歌集 『サラダ記念』 (第三十二回歌人協会賞受賞) が刊行され、260万部以上の売行きとなり、歌壇を越えて注目を集める。
十九期からの国語審議会の委員を務めるなど、歌壇以外でも幅広く活躍している。
歌集に 『かぜのてのひら』 『チョコレート革命』 があり、随筆集に 『四ツ葉のエッセイ』 『魔法の杖』 『りんごの歌』 『三十一文字のパレット』 『言葉の虫めがね』 『短歌をよむ』 『恋する伊勢物語』 などがある。

(近代文学研究者 紫安 晶)