せつ をたて  せつ をたてて  いゆくに  くしけずらざる かみ
【作 者】おか たかし
【歌 意】
仮説を幾つも立てて追求していくうちに頭が熱くなり、何日も実験の為に櫛を入れていない髪も燃え立つように熱くなることだ。
【語 釈】
○仮説==事実を合理的に説明するための仮定。
○くしけずらざる==ラ行五段動詞 『くしけずる』 の未然形に、打消しの助動詞 「ず」 の連体形が付いたもの。 「くしけずる」 は、 「梳る」 と記し、 「けずる」 ( 「梳る」 ) の雅語的表現。
【鑑 賞】

『土地よ、痛みを負え』 (昭36) に収められた一首。
この歌は、作者が病理学研究に没頭し、研究室に閉じこもり、実験に明け暮れていた時に作られたものである。
仮説を立てて実験を繰り返し、髪の毛をとく時間もないほど研究に没頭している。
その中で、自分は追いつめられて、感情が激しい高まりを見せていく。 「くしけずらざる 髪」 「炎え立つ」 に、その忙しく追いつめられた真情が込められている。
作者は、アララギ派の歌会に出ながら、実験を繰り返す医師であり、どちらかを選択しなければならない苦しい立場にあった。結局、医師の仕事を優先したのだが、この苦しみも追いつめられた原因であった。
そうした作者が、後に同じく偉業と作歌を両立させた斎藤茂吉研究に向かったことは必然的だったと言えよう。
アンビバレントに引き裂かれた状況、その中で二つの顔を使い分けるあり方を歌った興味深い歌に 「通用門出でて岡井隆氏がおもむろに我にももどる身震い」 というものがある。

【補 説】
あとがきに 「僕らの努力で、現代日本語から採集して歌言葉を豊富にしていくことこそ、現代短歌が真に現代短歌たるために必要なのだと思う。」 と述べるようにその模索の時期に作られたことも知っておくべきだろう。
【作者略歴】

昭和三年 (1928) 名古屋市に生まれる。二十年、愛知剣の第八高等学校理科甲類に入学。終戦後から十二月の授業再開までの休校の間に作歌を始める。
二十一年にアララギ入会。二十五年四月、慶應義塾大学医学部に入学。
二十六年に近藤芳美らと 「未来」 を創刊。浪漫的な生活詠から出発して、塚本邦雄との文通を契機に、昭和三十年代は塚本らと共に前衛短歌運動の先導者として活躍する。
社会詠の発想を拡充して、特に思想の感性化につとめた。
三十一年四月、北里研究所付属病院に内科医として勤務、以降医者としての仕事と作家を両立し続けてきた。
主な歌集に 『斎唱』 『土地よ、痛みを負え』 『朝狩』 『眼底紀行』 『鵞卵亭』 『天河庭園集』 『歳月の贈物』 『マニエリズムの旅』 『人生の視える場所』 『中国の世紀末』 『親和力』 『蒼穹の蜜』 がある。
評論活動も積極的で、歌論集に 『現代短歌入門』 『辺境よりの注釈』 『茂吉の歌』 などがあり、評論集に 『韻律とモチーフ』 などがある。

(近代文学研究者 原 善)