うまあら はば うま のたましひ  ゆるまで  ひと はばひと   あやむるこころ
【作 者】つか もと くに
【歌 意】
馬を洗うのならば馬の魂が澄み切って鮮やかに見えてくるまで心を込めて洗え。人を愛するならばその人をあやめるほどの楽しく深い真剣な心で恋せよ。
【語 釈】
○馬のたましひ== 「たましひ」 は魂。馬を馬たらしめているもの、馬の精神。
○冱ゆるまで== 「冱ゆ」 は、濁りや淀みがまったく感じられないほど、際立って鮮やかになること。
光・色・音などが澄みきる意。 「冴ゆ」 とも書く。
○あやむるこころ==マ行下二段動詞 「あやむ」 の連体形に名詞 「こころ」 が付いたもの。 「あやむ」 は人を傷つけたり、殺したりすること。
【鑑 賞】

『感幻樂』 (昭44) 所収。
「花曜─隆達節によせる初七調組カンタータ」 中の 「弐の章」 の一首。初出は 『現代短歌66』 (昭41・1)
『感幻樂』 は 「管弦楽」 に通じ、 「花曜」 の章は 「歌謡」 に通じている。
馬を洗うことと人を恋すること、まるっきり関係のないことをぶつけ合わせた衝撃力がこの歌の生命。
さらにはその後者の中でも、人を愛することと、人を恋することという一見矛盾しつつ、しかもなるほどと思わせる二つの衝突が力を発揮している。
作者の手法は若の調べを基本に残しながら、近世歌謡や俳句の句法を取り入れている。七・七・五/七・七の音律で前後が対句風の仕立てになっており、隆達節のリズム・七七七五形を取り入れている。手法としては 「配合」 「二物衝撃」 、現代詩のモンタージュといってもよい。
馬を洗う極意が恋の極意に通じる。馬を洗って洗って洗い切ったところに作者は 「馬のたましひ」 が透視できるとした。その非現実的な仮定に立って、恋も同じだと説くのである。
人を恋するには中途半端な覚悟では駄目だ。 「懸命」 の言葉通り、命を懸けよという。
三島由紀夫やバタイユ的な世界が背景に透けて見えよう。

【補 説】
佐佐木幸綱は、
「人間の行為の究極のかたちに想像を走らせている歌です。恋もそうだし、殺人もそうだ。ともに人間の行為の中でもっともラディカルで、もっとも情熱的な行為だ、というのです。文学におけるエロティシズムとは、こういうものをいうのでしょう」 ( 『短歌に親しむ』 NHK出版) という。
【作者略歴】

大正十一 (1922) 年、滋賀県生まれ。平成十七 (2005) 年没。
昭和二十二年、前川佐美雄に師事し、 「日本歌人」 に入会。二十四年、杉原一司とともに同人誌 「メトード」を創刊。第一歌集 『水葬物語』 刊行。時の詩壇からは黙殺されたが、その方法意識の鮮明さにおいて現代短歌史上類を見ないものであった。
30年代に入って前衛短歌運動が盛んになり、塚本はその中核的な存在となり、作歌・評論に指導的役割を果たした。
歌集に 『日本人霊歌』 『緑色研究』 「感幻楽』 『天変の書』 などがある。

(近代文学研究者 原 善)