いのち の きわ みに へて  ししむらを  あえ てゆだねし わぎも あはれ
【作 者】よし ひで
【歌 意】
真実の命が滅びようとする極限の状態をこらえて、肉体をしいて私にまかせたわが妻よ、ああ。
【語 釈】
○真命==真実の命の意の作者の造語。
○ししむら==肉体、身体のこと。
○ゆだねし==身を任せた。
○わぎも==「わがいも (我妹・吾妹) 」 の約。男から妻、恋人などを親しく呼ぶ語。
【鑑 賞】

『寒蝉集』 所収。この作は、昭和十九年八月二十九日、作者の妻はつが、胃の肉腫を病み、逝く前後を 「玉簾花」 「百日忌」 「彼岸」 と続く連作で詠んだ、 「彼岸」 (十三首) の中の五首目の作。
百日忌も過ぎた頃、亡き妻をしのんで詠まれた本作の前後には
「生きのこる われをいとしみ わが髪を 撫でて最期の 息に耐へにき」
「これやこの 一期のいのち 炎立ち せよと迫りし吾妹よ吾妹」
という、これも絶唱がある。
「真命の極みに耐へて」 も 「ししむらを敢てゆだねし」 も、死が迫り衰えていた妻の必死の生命力のすさまじさを表現している。死を目前にした時に <真命> の本質としての性がクローズアップされるあり方は川端康成 「眠れる二女」 にも当てはまるものだが、いわば自分の命を賭して夫に最後の <炎立ち> を迫り、そして翌日死んでいく妻は、まさしく <わぎも子あはれ> と詠まれる哀れな感動を呼ぶものであるが、それを挽歌として作品化した作者の文学者の魂もまた感動的である。
山本健吉が
「これほど厳粛なものとしてよまれた男女の交合の歌は、ほかにない」 ( 『日本の恋の歌』 )
と評したように、茂吉 「死にたまふ母」 と並ぶ近代短歌の挽歌の絶唱である。

【補 説】
本作には
「これは八月二十八日 (死の前日の夜) の出来事であった。看護婦が席を外してすぐ、 “こんな死ぬばかりのからだになっても・・・・” と言ひだした亡妻の真剣必死の声をどうして忘れることができようか。彼女の人間愛の最後の大燃焼であり、炎々たる火焔の中に骸となっていったと観るべきである。事ここに及べば、肉体も精神も糞もない。そんな分別は青瓢箪者流のたはごとに外ならぬのだ。----- ただこれだけをいふ。南無阿弥陀仏」 ( 『自註寒蝉集』 )
という自註がある。
【作者略歴】

明治三十五年生まれ。昭和四十二年没。群馬県に生まれる。
慶應義塾大学を胸部疾患のため中退。療養中に正岡子規、アララギ派の短歌に親しみ、やがて会津八一に師事、終生私淑した。
健康に恵まれなかったが、鎌倉に移住し、戦後に鎌倉アカデミアの講師などを勤めた。
主な歌集に 『苔径集』 『寒蝉集』 『晴陰集』 『含紅集』、随筆に 『やわらかな心』 『心のふるさと』 等、評論に 『良寛和尚の人と歌』 等があり、全著作を収録した 『吉野秀雄全集』 全九巻がある。

(近代文学研究者 紫安 晶)