ゆくあき の  かわ びんびんと  まる  ゆう ぎし を行き  しず めがたきぞ
【作 者】 ゆき つな
【歌 意】
晩秋の川がびんびんと冷えて引き締まる。その夕暮れの岸辺を歩き続けながら、自分の昂ぶった気持ちをどうにも鎮めることができない。
【語 釈】
○ゆく秋==暮れてゆく秋。晩秋。
○びんびん==川の水が冷え引き締まるさまを表す擬態語。力強く張り詰めた語感をもっている。
○緊まる==ひきしまる。隙間や緩みのない状態になること。
○鎮めがたきぞ==「鎮め」 は 「鎮む」 (マ行下二段) の連用形で、心を穏やかにし、落ち着かせる意。 「ぞ」 は強意の係助詞で文末用法。自分自身に強く言いきかせるような気持ちを表している。
【鑑 賞】
第一歌集 『群黎 (グンレイ) 』 (昭 45) 所収。「信ぜよ、さらば・・・・」 (十九首) の中の一首。昭和四十四年作。
どこにも年齢を示す言葉はないが、内部から衝撃的に湧いてくる情念を持て余している様は、青春特有のものであり、その上 「ぞ」 という係助詞が男性的用語であることからすると、一人の青年の姿が浮かび上がる。青春性が濃厚に表現された歌である。
晩秋の夕暮れの川の岸は、斜光にあかあかと塗られている。その一方で川岸を行く男は、その昂ぶった情念をいっこうに鎮めることができない。
男は川の冷えを身体のすみずみにまで、しみとおるように受けながらも、心の熱塊は依然として冷えを受け付けない。かえって冷気は熱気を煽っている気配すらする。
そして、 「びんびん」 という擬態語は、冷えの進行を超えて、心の葛藤や反問の深刻化を促している。音調の上では、 「ゆく秋」 のki、「夕岸を行き」 のgi、とki、 「鎮めがたきぞ」 のki が、要所要所で音律を緊める役割を果たしており、若者の情念が剛直なリズムに乗って表現されている。
【補 説】
佐佐木幸綱はオノマトペを多用する歌人であり、オノマトペ (擬態語・擬音語) について、
「現代短歌におけるオノマトペというと、すぐ流行の歌謡性を連想されそうだが、(中略) 歌謡性というより、感覚の言語化に際して <肉体> をいかに深くかいくぐったかを示す、 <言語の肉体性> 、言語を換えれば <肉声> の問題としてこれを見ていったほうがいいのではないか」 ( 『作歌の現場』 角川書店、昭 63)
と述べている。
【作者略歴】

昭和十三年生まれ。東京出身。早稲田大学卒。
河出書房の編集者、跡見女子大学教授を経て、早稲田大学教授。
「心の花」 編集に従事。
太ぶととした生彩ある男歌の発想で、人間の復権を求め、現実のダイナミズムに挑戦する作風。
歌集に本作を収めた 『群黎』 (昭 51) の他に、 『直立せよ一行の詩』 (昭 47) 、『夏の鏡』 (昭 51) 、などがあり、評論集に 『万葉へ』 『北極の声』 『詩の彼岸』 などがある。

(近代文学研究者 紫安 晶)