マッチ す る つかのまうみ に きり ふかし   み  す つるほど  そ こく はありや
【作 者】寺山てらやま しゅう
【歌 意】
マッチを擦ったほんの少しの間、ほのかに明るくなったが、海には深い霧が立ちこめている。
私が命を捨てるほどの祖国はあるのだろうか。いや、ありはしないのだ。
【語 釈】

○つかのま==ほんのわずかな間。
○身捨つる==自分の身を犠牲にする。命を捨てる。
○ありや==あるだろうか。いや、ありはしない。
「や」 は反語で、疑問を示しながら実際にはそれを否定する。
答えに強い確信があることを表す言い方である。

【鑑 賞】

昭和二十九年 (1954) に発表された連作 『祖国喪失』 の中の一首。
『空には本』 (昭和三十三年) 所収。修司の代表歌である。
部隊は寂しい東北の海辺。海にも陸にも明かりは見えない。煙草を吸おうとしてつけたマッチの火に浮かび上がるはずの海すら、深い霧に閉ざされてしまっている。孤独な暗闇の中、修司は断じる。命を捨てるほど価値のある祖国など、絶対にない。祖国より命の方が大事なのだ。
背景にあるのは、戦争体験である。わずか十年ほど前、たくさんの若者たちが 「お国のため」 戦地へ送られて死んだ。修司の父も憲兵としてセレベス島に送られ、戦病死した。
その時代の他の子供達と同様、 「お国のために死ね」 と教育された修司は空襲で家を失った。
そして終戦。昨日までの軍国教育は手のひらを返すように否定され、敵国アメリカは友好国となった。
修司の国家に対する不信感は、生活の為に米軍キャンプで働く母への複雑な思いとあいまって、夜霧に閉ざされた海のように暗く、深い。
この歌は三句切れで、上の句と下の句の間に著しい飛躍があるが、その亀裂が修司の思いの強さをいっそう印象づけている。

【補 説】

この歌は、戦後世代の祖国喪失感を歌った名歌として賞讃される一方、剽窃・盗作という批判を受けている。
上の句が冨澤赤黄男 (トミザワカサオ) の 「一本のマッチを擦れば湖は霧」 を下敷きによまれたのはおそらく事実であろう。
しかし、下の句の祖国への不信感と反戦の思いは紛れもなく修司のものであり、第二次世界大戦下の無責任な国策の犠牲になった人たちの怒りを代弁するものであった。

【作者紹介】

昭和十年生まれ、昭和五十八年没、享年四十七歳。 青森出身。早稲田大学中退。
青森高校在学中に学生俳句大会を主催するなど、早熟な才能を見せた。
十八歳で 「チェホフ祭」 五十首により、第二回 「短歌研究」 新人賞を受賞する。
昭和三十九年には塚本邦雄 (ツカモトクニオ) らと 「青年歌人」 を組織したが、その後は活動の中心を映画や演劇に移し、演劇実験室 「天上桟敷」 を設立するなどした。
主な歌集に 『われに五月を』 『空には本』 『血と麦』 『田園に死す』 などがある。

(文芸評論家 藤岡 まや子)