ゆ く れし ろまんちつくの わかうどは  永代橋えいだいばし の 欄干らんかん よ
【作 者】よし いさむ
【歌 意】
歩いているうちに日が暮れたので、ロマンチックな若者は、永代橋の欄干によりかかった。
【語 釈】

○往き暮れし==行くうちに日が暮れた。
○ロマンッチク==ロマンチック。
○わかうど==若い人。若者。
○永代橋==東京の隅田川にかかる橋。

【鑑 賞】

昭和四十二年 (1909) の 「スバル」 に発表された歌で、勇の第一歌集 「酒はにがい」 では 「わかうど」 という章に入っている。この歌集は酒と愛欲に沈む放蕩無頼の青春を率直に流露したもので、一躍評判になった。 「ほがい」 には 「寿 (コトホ) ぐ」 と 「乞食 (ホガイ) 」 の二つの意味があり、勇らしい洒落である。
夕暮れ、歩き疲れて永代橋の欄干に寄りかかる若者。彼はどこへ行くとしているのだろうか。
この前年、石井柏亭 (イシイハクテイ) ・山本鼎 (ヤマモトカナエ) らの若い画家と北原白秋・木下杢太郎・勇 らの文学者は、<パンの会> を結成していた。
<パンの会> はギリシャ神話の牧羊神の名で、美術と文学を総合し、美に最上の価値を置く耽美主義を推進しようとしたのである。
その会場の一つが、永代橋の近くにあった西洋料理屋の永代亭であった。隅田川をセーヌ川になぞらえ、東京をパリに見立てるというエキゾシズム (異国趣味) の表れである。
また、当時の永代橋界隈は古い江戸情緒を色濃く残しており、そのことも <パンの会> のあり方に影響を与えている。
「ろまんちっくのわかうど」 には
「うらわかき みやこびとのみ 知ると云ふ 銀座通りの 朝のかなしみ」
など、青春の感傷を歌ったものが多い。

【補 説】

明治四十年夏、与謝野鉄幹は、白秋・杢太郎・平野萬里・勇 を連れて三週間の九州旅行をした。
白秋以下四人は、鉄幹率いる新詩社の若手の中心メンバーである。
五人が交代で歌や詩を詠み込んだ紀行文 「五足の靴」 は新聞に連載される。
しかし、その後 「五足の靴」 の若者達は鉄幹の方針に不満を抱き、新詩社を脱退する。
彼らが <パンの会> として活動を始める一方、 「明星」 は廃刊を余儀なくされた。

【作者紹介】

明治十九年生まれ、昭和三十五年 (1960) 没、享年七十四歳。東京出身。
伯爵家の次男。明治三十八年、早稲田大学を中退して新詩社に入社、 「明星」 に短歌を発表する。
明治四十一年、 <パンの会> 結成。翌年には森鴎外の監修のもとに 「スバル」 を創刊し、石川啄木らと編集を担当する。
私生活では爵位返上問題などがあったが、短歌・戯曲・小説 など多くの作品を発表し、のちに芸術院会員となった。
主な歌集は 『酒ほがい』 『祗園歌集」 『人間経』 など。
戯曲に 『午後三時』 『俳諧亭句楽の死』 、小説に 『蝦蟆鉄拐』 などがある。

(文芸評論家 藤岡 まや子)