いち  ど だけ 本当ほんとうこい が ありまして  南天なんてん み が  し っております
【作 者】山崎やまざき 方代ほうだい
【歌 意】
わたくしにも一度だけ本当の恋の経験がありまして、それは南天の実だけが知っております。
【語 釈】

○南天==メギ科の常緑低木。初夏に白い花をつける。実は十一〜十二月頃に赤く熟し、正月の切花や薬用として用いられる。

【鑑 賞】

『こおろぎ』 所収。生涯独身を貫いた方代であるが、 「本当の恋」 が一つだけあった。
自身のエッセイ 「恋の使徒」 によれば、 「女流詩人でも女流歌人でも素晴らしい作品をつくる人は美しい人でなくてはならないという考え」 を持っていた方代は、 『工人』 に短歌やエッセイを発表する若い女性に惹かれるようになっていった。和歌山に住む広中淳子である。
「昭和二十六年頃」 の 「正月の二十日頃」 、各地の歌仲間を訪ね歩いていた方代は汐見町の広中家に現れ、結核で養生していた淳子と対面、慕情を訴えたものの、あまりにもうちつけない告白に彼女を戸惑わせるに終わり、
「和歌山の汐見通りのぬかるみにぬぎすてし古い靴よさようなら」
と彼女への想いを断ち切るが如き一首を残している。
その後も諦めきれないまま手紙を出し続けた方代であったが、やがて彼女は嫁ぎ、子供だできたとの葉書が届いたという。
「生きた会話の言葉がそのまま三十一文字に宿ったような」 (俵万智 『あなたと読む恋の歌百首』) この一首は、晩年にあってもなお忘れることのできない若き日の恋を静かに、しかしひそやかな情熱をもって歌い上げている。

【補 説】

田澤拓也 『無用の達人 山崎万代』 によれば、方代が広中淳子のもとを訪れたのは、二十六年春の暖かな一日であったという。しかしながら、方代自身の記憶の中では、意識的にか無意識的にか、南天の実の赤さが目に沁みるような冬の日の出来事として定着していったのである。

【作者紹介】

大正三年 (1914) 生まれ、昭和六十年 (1985) 没。享年七十歳。
山梨県右左口村 (現在の甲府市右左口) に生まれる。
名前の由来について方代は、 「父は焼酎の酔いにまかせて、生き放題死に放題の方代と命名してくれた」 ( 「なんじゃもんじゃの木」 ) と記している。
高等小学校卒業後、村の短歌会 「地上」 に入会し、新聞や雑誌に作品を投稿。
太平洋戦争で右眼を失明したが、復員後、作歌を再開し、『工人』 に参加。
昭和三十年に第一歌集 『方代』 を自費出版したのを機に、吉野秀雄に師事する。
姉の死後、天涯孤独の身となるが、かねて懇意の鎌倉飯店店主の自宅庭先に建てられたプレハブ小屋に引き取られた。
口語を巧みに駆使し、故郷や人生、日常の生活を自在に歌った詠みぶりで知られる。
歌集に 『右左口』 『こおろぎ』 『迦葉』 、エッセイに 『青じその花』 など。

(鶴見大学非常勤講師 山本 令子)