めい  じ  や の クリスマスかざ り  ひ ともりて  きらびやかなり 粉雪こなゆき  ふ い
【作 者】木下きのした げん
【歌 意】
明治屋のクリスマス飾りに灯がともって、まさに華やかなクリスマスの雰囲気だ。
あ、粉雪まで降ってきた。
【語 釈】

○明治屋==明治創業の百貨店。
○クリスマス==大正時代は、日本史上キリスト教信仰が嘗てない隆盛を極めた時期。
○きらびやか==華やかで美しいさま。
○粉雪==粉のようにさらさらした細かい雪。こゆき。

【鑑 賞】

冬の銀座の通りに大きくクリスマス飾りが置かれていた。舶来の品物を扱う明治屋の前とあっては、ますますクリスマスの情趣は深かったに違いない。
そのきらびやかな雰囲気の中に、さらに飾りに灯がともって、ますますクリスマスの雰囲気を華やかなものとしている。
「きらびやかなり」 で表現されているのは、明治屋の前に飾られたクリスマス飾りでもあろうが、同時に作者木下利玄の心情ともとる事も出来よう。
利玄の心情も、クリスマス飾りと同様に 「きらびやか」 なのであり、うきうきした華やいだ想いに満ちているのである。
そのような状況の中で、 「粉雪」 まで降ってきたとあっては、ますます嬉しくて仕方がない、そう言っているかのようだ。
ここに見られるのは、 「明治屋」 「クリスマス飾り」 に代表される、舶来のものに対する憧憬であろう。
大正時代は明治時代から続いた思想的変遷が一つの区切りを経、大正セモクラシーの勃興と共に思想や信条の自由が謳歌された時代でもある。
そこに人生への内省が伴っていないという批判も当然あるが、しかしなおこの歌が魅力的なのは、己の内面の情感と外面の情景とが合致した瞬間を見事に捉えている処にある。
ここ歌は第四句で切れるが、それは 「きらびやかなり」 が描写する外的情景と内的心情とが結合されることを意味する。客観の中に主観は遊んでいるのであって、その華やぎと喜びがこの歌の真髄であろう。

【補 説】

木下利玄は学習院高等科出身で、この歌は学習院在学中に 『輔仁会雑誌』 に投稿して掲載された歌の中の一首。
第一歌集 『銀』 (大正三年 <1924>) に収められた。東大国文科卒業後、明治三十二年 (1899) 、佐々木信綱を訪ね、竹柏会 「心の花」 に入会。
利玄は学習院同門の武者小路実篤らと共に白樺派の一人として活躍し、人道主義・理想主義のもとに歌を制作した時期もあった。

【作者紹介】

明治十九年生まれ、大正十四年没。三十九歳。
岡山県出身。本名は利玄 (トシハル) 。
学習院高等科を経て、東京帝国大学国文科を卒業。 「心の花」 時代には、新井洸、川田順らと共に 「心の花」 三羽烏として活躍した。
利玄調・利玄歌風というものを樹立したことでも著名。
歌集に 『銀』 『紅玉』 『一路』 『立春』 『李青集』 がある。

(学習院大学大学院生 谷 佳憲)