あかあかと 一本いっぽんみち  とほりたり  たまきはる  わいのち なりけり
【作 者】斉藤さいとう きち
【歌 意】
赤々と一筋の道が太陽に照らされている。
その道こそ私のいのちそのものであることよ。
【語 釈】

○あかあかと==木の実や花・炎の色を形容する事も多いが、夕日が沈んでいく時の大気に満ちた明るさを表現する場合が特徴的である。
○たまきはる== 「命」 にかかる枕詞。

【鑑 賞】

この歌は、師である伊藤左千夫の没後に作られたということを念頭に置いて理解されるのが常であった。
茂吉自身がこの歌に対して自注を述べ、
「秋の国土を一本の道が貫通し、日に照らされてゐるのを 『赤々』 と表現した。これも 『しんしんと』 流のものに過ぎぬが、骨折ってあらはれたものである。貫通せる一本の道が所詮自分の 「生命』 そのものである、といふやうな主観的なもので、伊藤左千夫先生没後であったので、おのづからかういふ主観句になったものと見える。
『たまきはる』 などという枕詞を用ゐたのも、単純に一気に押してゆかうといふ意図に本づいたのであった。
この一首は、私の信念のやうに、格言のやうに取り扱われることがあるが、さういふ概念的な歌ではなかった」 (『作歌四十年』 「あらたま抄」) とある。
しかし、この歌を茂吉の人生と重ねて考えてみれば、左千夫歿後、己の手で自分自身の歌を作り上げていかざるを得ない状況に置かれた時の感慨とも読み取る事ができる。
即ち、眼前にある道こそ、これから自分が進むべき道 (=歌のあり方) であるという宣言として理解する事ができるのである。
その 「一本の道」 には、歌のあり方とは何であるかという問題が含まれている。
茂吉は、万葉集的な詠風を理想としていた。そのような詠風を確立していくことが己の使命であるという自覚を歌った歌と理解されるのである。
茂吉の歌には歌論が背景となって詠まれた歌が多い。 「あかあかと」 という万葉的な原色の表現や枕詞の使用は、万葉的詠風に己を重ねる歌とも言えよう。
万葉的人生観に人間の生き方を発見し、万葉的詠風の中に、自己の進むべき 「道」 を覚知した歌とみたい。

【補 説】

歌集 『あらたま』 の中に収まる 「一本道」 と題する八首中の一首。
大正二年 (1943) 作。
茂吉は、短歌を抒情詩だといい、そこに 「いのちのあはれ」 をみて歌論を実践する立場に立つ。それは第二歌集である 『あらたま』 の頃になると、 「写生・実相観入」 という形で展開された。

【作者紹介】

明治十五年 (1882) 生まれ、昭和二十八年 (1953) 没。七十二歳。
本名は茂吉(シゲヨシ) だが、歌人としては茂吉 (モキチ) といった。
山形県出身。東京帝国大学医学部卒。
伊藤左千夫に師事し、雑誌 「アララギ」 を編集。
『赤光』 以下歌集十七冊に及び、評論、随筆も多い。

(学習院大学大学院生 谷 佳憲)