ゆあき の 大和やまとくに の やく  し  じ の  とううえ なる ひと ひらのくも
【作 者】 信綱のぶつな
【歌 意】
行く秋の、大和の国にある薬師寺の、塔の上にある一片の雲よ
【語 釈】

○行く秋==暮れて行く秋。晩秋。
○薬師寺==奈良市西ノ京にある法相宗の大本山。
○上なる==上にある。

【鑑 賞】

作者四十一歳の作。晩秋の奈良で訪れた古寺での一風景を切取ったものである。
この歌の特徴は、助詞 「の」 を六回も繰り返し使っているところにある。それにより、「行く秋」 → 「大和の国」 → 「薬師寺」 → 「塔」 → 「雲」 へと、まるで映画のワンシーンで、あるものをクローズアップしていくかのように、徐々に対象が絞り込まれていく。
さらに、晩秋の澄んだ青い空が果てしなく続くさまと一片の白い雲という光景は、青と白という色彩の対比、広大な空と小さな雲という大小の対比を生み出し、絵画的な美しさもある。
また、 「の」 の繰り返しは、 「やまとのくに」 「やくしじ」 と 「や」 音の反復とともに、独特のリズムを生み出している。全体として、ゆったりした時間の流れと大らかな構図を持ち合わせた歌と言えよう。
さて、この歌は 『新月』 に所収されているが、そこでは感情的なものを切り捨てて、感覚的な世界を表現しようと試みている。この一首でも、そこを訪れた作者の感慨は述べず、ただ風景を切取ったかのように描いている点で、 『新月』 的世界を代表する作品と言われている。

【補 説】

初出は 『心の花』 (明治45年2月) で、歌集 『新月』 (明治45年) に所収。
薬師寺は平成十年 (1998) に 「古都奈良の文化財」 としてユネスコの世界遺産に登録されたことで有名。東塔は薬師寺で唯一創建当時より現存している建物である。外から見ると、屋根が六つあるため六重の塔に見えるが、三重の塔である。また、昭和30年には、この歌の自筆の歌碑が境内に建立された。

【作者紹介】

明治五年 (1872) 三重県生まれ、昭和三十八年 (1963) 没。
国学者として、 『校本万葉集』 をはじめとする万葉学の基礎的研究に尽力し、和歌史の研究に多くの業績を残す。
また、歌人としては、落合直文・正岡子規らと並んで、明治の短歌革新を企て、竹和会を主宰する。
結社雑誌 『心の花』 を創刊し、木下利玄・前川佐美雄ら多くの歌人を育成した。
歌集に 『思草』 『新月』 『常盤木』 『豊旗雲』 などがある。また、童謡 「夏は来ぬ」 の作詞者としても有名。

(日本女子大学大学付属中学校講師 壬生 里巳)