白銀はくぎん の はり 打つごとき きりぎりす  いく  よ はへなば すず しかるらむ
【作 者】長塚ながつか せつ
【歌 意】
白銀で作られた細く鋭い鍼が皮膚を刺すように、きりぎりすの鳴く声が冴え冴えと私の身を貫いてゆく。
このような夜をあと幾つ経たならば、秋の涼しさを迎えられるのだろうか
【語 釈】

○白銀の鍼==銀製の鍼のことで、病気の治療の為に皮膚・筋肉へ刺激を与える医術に用いられる。注射器や縫い針よりも細い。
○きりぎりす==バッタ目・キリギリス科。成虫は盛夏から晩秋まで見られる。雄は 「チョンギース」 と鳴く。

【鑑 賞】

夏の訪れと共に草むらでは虫が羽を震わせ始め、その音を愛でつつ夜を過ごす様は、我々日本人にとって馴染みの深い風景である。
文部省唱歌の 「虫のこえ」 で、松虫は 「ちんちろちんちろ」 、鈴虫は 「りんりんりん」 、と鳴くことになっている。
夏の夜に聞こえてくる虫の音は様々であるが、この作品に現れるのは 「きりぎりす」 であった。「チョン」 という拍子の後に 「ギーイ」 と、細井長音が弾き出され、やがて消えてゆく。
涼やかで真っ直ぐな響きを 「鍼打つ」 と表現したところに、虫の音が、聞く者の体へ差し込まれ染みとおってゆく瞬間が捉えられている。
本来聴覚で捉えるほかない虫の音は、ここで、鋭い白銀の光を放つ鍼となって、聞く者の皮膚感覚に訴えかけてくるのである。
「白銀」 「鍼」 という語の与える清涼な印象と 「きりぎりす」 という音の軽やかさは、夏の夜のうだるような暑さにおいて澄んだ空気を呼び込む。一体あと幾夜を数えたら涼しくなるのだろうか、と秋の訪れを待ち望む作者の心持はすでに、虫の音の中に秋の響きを探り当てているのだ。
そこにいるのはかまびすしく鳴きたてる大勢の虫ではない。森閑とした草叢に細く音を立てるきりぎりすその一匹が、作者と静かに対峙している。
きりぎりすとの邂逅において季節の移ろいを繊細に感受した作者の佇まいが浮かび上がってくる一首である。

【補 説】

この作品は大正三年 (1914) 、咽頭結核に侵された作者が九州の病院に入院中に詠んだものである。
病中に成した 「鍼の如く」 という231首の連作の中に収められている。
「鍼の如く」 には詞書と日付が添えられている歌も多く、この作品の前には 「構内にレールを敷きたるは濱へゆく道なり、雑草あまた茂りて月見草ところどころにむらがれり、一夜キリギリスをきく」 とある。前後の日付から七月下旬のことと推測される。

【作者略歴】

明治十二年 (1879) 茨城県に生まれ、大正四年 (1915) 福岡にて客死。
正岡子規門下の歌人として出発して伊藤左千夫らと共に雑誌 「馬酔木」 を創刊し、後に歌論や写生文も発表、やがて 「阿羅々木」 にも参加した。
生前に出版された歌集は無いが、東京朝日新聞に連載された小説 『土』 (明治四十三年) は農村の生活を生々しく描いたものとして名高い。

(日本文学研究者)