やま の はい より の つき てり  はじめにつき と  びしひとはや
【作 者】山中やまなか
【歌 意】
三輪山の背後から月がその姿を見せた。 月は何か不可思議の、といいたいような輝きを見せている。
遥か太古の昔、この不可思議の物を見て、はじめて 「ああ、月」 と叫んだ人がいる、ああ、その人よ。
【語 釈】

○三輪山==奈良県桜井市にある山。山そのものが大神神社の神体となっている。三輪山伝承で有名。
○不可思議==想像もつかないようなあやしさ。
○月立てり==月が姿をはっきりと現す。
○はや==深く感動し、嘆く心を表す助詞。主に記紀歌謡で用いられた。

【鑑 賞】

奈良盆地の中程にやわらかな三角形をした三輪山がある。古来からの信仰の山である。 その麓には大神神社があり、そして、山そのものがご神体なのである。
三輪山の形そのものがとても美しい。
その三輪山の背後から月が姿を現した。作中主体の <私> は今、山の上に煌煌と白く光る月を見つめている、という状況が見えてくる。
しかし、 <私> が見ているのは、月の映像であるよりは、太古の昔、現在の <私> と同じ様に月を眺めていたのであろう一人の人間だ。
「今のこの私と同じ様に、月を眺めていた人がいる」 という思いが、この短歌の主調となっている。
その人とはどのような人だったのだろうか。三輪山という神話空間に光る不思議な物を見て、はじめて 「月」 と叫んだ太古の人々のおののきと感動、その感動を現在に生きる主体とともに感じ取ろうとする。
その不可思議な光の威力は、現在も生き続けているように思えるのである。

【補 説】

山中智恵子の第三歌集 『みずかありなむ』 (昭和43年) から。
山中智恵子は、戦後、モダニズム的な短歌から出発し、さらに前衛短歌が沸き起こる中、塚本邦雄や岡井隆との交流の中で、前衛的、幻想的な世界を短歌として表現していった。
とくに、山中は、日本の古代呪術的な世界に自分が表現するものを求めていった。三輪山の神話研究や、巫女の研究などにも著書がある。
この短歌は、そのような作者の世界から詠まれたともいえるが、とくに神話世界を背景として読まなくとも、山の上の美しい月の映像と、原初の世界への思いが充分に感じ取れる魅力の短歌である。

【作者略歴】

大正十五 (1925) 年、名古屋市生まれ、平成十八 (2006) 年没した。 京都女子専門学校卒業。
前川佐美雄に師事し、 「日本歌人」 に入会して短歌を始める。
歌集に 『空間格子』 (昭和34年) 、 『虚空日月』 (昭和49年) 他、多数。
評論に 『三輪山伝承』 (昭和47年)、 『斎宮志』 (昭和55年) 等がある。

(作新学院大学講師 小林 とし子)