きみせい  わがせい つくづく いとしけれ  ちりちり つ きて ゆく て はな  び よ 
【作 者】いな きょう
【歌 意】
あなたの命も私の命もしみじみといとおしく思われることだ。
ちりちりと音を立てながら燃え尽きてゆく手花火をみつめていると。
【語 釈】

○生==生まれてから死ぬまで。いのち。
○手花火==線香花火等の手に持ってする玩具花火。

【鑑 賞】

年齢を重ねた夫婦の絆をしみじみと歌い上げた作品である。
過ぎてきた日々とこれからの日々を思い、互いの命を愛しく感じながら、夫に寄り添っている作者の姿が浮ぶ。
夏のある日、作者は手花火をしている。おそらく、孫などの幼い子供と共に。夫もかたわらにいるのであろう。手花火にも色々あるが、ここでは線香花火ととるのが妥当である。
線香花火の燃え尽きようとする時にたてる特有の音、「ちりちり」 という擬音語が用いられているためであるが、これはこの夫婦が人生の終盤にさしかかっていることを象徴している。
結婚してからの長い間、様々なことが二人の上を過ぎていった。決して平坦ではなかった歳月を振り返りながら、自らの命も人生の同伴者である 「君」 の命も、つくづくといとおしく思われてくる。
「つくづく」 という語は意味をことさらに強める言葉であり、歌言葉としては安易には用いられないものかもしれない。しかし、ここでは 「心底から」 という作者のひたすらな思いを表現し得て、決して過剰には響いてはいない。
「歳月」 ということにつき、よく思いをめぐらせる作者の特色が出ており、また透明感のある歌である。
子供の玩具である手花火が、長い年月を共にして来た夫婦の残生を照らし出す小さな火となって、結晶度の高い作品である。

【補 説】

年譜によれば、作者は夫の仕事の関係で五十歳の頃まで、関東関西にわたり八回の転居を繰り返していたという。
一つの地に定住するのとは異なり、その日々はどんなにか、繁雑な要素を含んだものとなったことであろう。
ようやく定住という落ち着きを得て、更に年月がたった。
「傷つきてならぬ傷つけてならぬとぞ何十年を過ぎたり夫よ」
「言はざりし言葉は言ひし言葉よりいくばくか美しきやうにも思ふ」
という作品もあるが、併せて鑑賞すると、抑制された静かな調べの中に、幸福を希求する作者の祈りの声が聞えるように思う。

【作者略歴】

昭和八年 (1933) 愛知県江南市に生まれる。
小学二年のとき病気のため七カ月休学。これをきっかけに詩や童話に親しむようになり、後にこれらの創作活動をすることとなる。
二十四歳で短歌を作り始め、今日に至る。
角川短歌賞、現代短歌女流賞、短歌研究賞、前川佐美雄賞等受賞。

(短歌同人誌 「DOA」 高旨 清美)